2012年8月25日(土)
【庶民感覚としての市民感覚】

 本日は、朝一で、地域のラジオ体操大会。小中学生や地域の方が、千人以上集まって、ラジオ体操大会のあと、小中学校の清掃奉仕。
 このラジオ体操大会は、今年が35周年記念大会で、この地域に、NHKのラジオ体操が、全国巡回で来たときの録音テープをずっと使い続けている由緒正しきものです。
 そして、そのまま、小中学校の清掃奉仕活動にはいるというのは、無理が無い、よく考えられた良いやり方だと思います。

 中学生なども、部活の前に参加していますが、夏休みが終わる1週間前ですし、学校生活に徐々に戻していこうという契機になります。
 なによりも、地域防災を考えた時に、もちろん、夏祭り大会という手もあるのですが、これだけ広域大規模学区になると、各単位町内会でそれを行っていることもあり、こういった形で、地域の方も、避難場所を認識するという意味合いは、極めて大きいです。

 特に、町内会ごとで、隊列になり、ラジオ体操を行い、その後、町内会ごとに分散して清掃活動も行うということで、一石なん鳥にもなります。
 それにしても、やっぱり、学校区単位というくくりで、子ども達を守るということが、ひとつの基軸となって、地域が動いているという事を強く感じます。



 その後、青年団はじめ若い方々に集まっていただいて、いばらぎ氏を囲んで、車座会議を開催しました。政治に携わる者にとって、大切なのは、庶民感覚。 怒りや不安を喜びと希望に変えるのが、私たちの仕事だからこそ、まずは、いかに本音で語り合い、共感しあえるか? 若者の本音も、少し聞くことができました。

 私のいう「庶民感覚」という言葉の本質には、経営感覚とは違います。どうしようもない宿命の中で、悲しみや苦しみがあって、喜びがある、そんな日々の暮らしがあると思います。 私が求めているのは、その傷みに共感し、体をはって守る政治家の姿です。

 庶民の怒りや不安に対して、あまりにかけ離れて感性が鈍っていては、よい県政もできないのは、国と共通だと思います。まずは、演壇のないフラットな場で、あたりまえにある悲しみや傷みをきっちり受け止め、本気で一緒になって怒るところから、全ては始まると思います。

 ある意味、政治の原動力は、怒り、つまりは、義憤だと思います。個人の自己実現ではなく、守るものや、誰かと叶えたい夢があって、はじめて戦えるのだと思います。
 だからこそ、最初の立ち位置や視線は、極めて重要です。
 いずれにせよ、二元代表制の選挙で選ばれる議員は、首長に対して、闇雲に、なんでもかんでも賛成する立場ではありません。 ある意味、対峙も拮抗もします。ぶつかっていく相手でもあります。
 個人的にも、組織的にも、議会的にも、首長づくりの責任は、極めて重いです。

 その後、一般社団法人アジア国際交流協会設立総会。国際的には、時期は微妙ですが、地域においては、親睦の輪が広がる事は重要です。
 夕刻からは、いよいよ夏祭りのはしごも、いよいよ終盤戦。大詰めです。事実上は、盆踊りは、今日で、踊り納め。
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