2011年9月28日(水) 【義務教育について】

 今日は、久方ぶりに、息子の小学校のオープンスクールにお邪魔しました。特に、小学5年生の算数は、小数点と分数に入っており、このあたりを上手く抜ける必要があります。

 それにしても、このあいだまで、人間よりも、お猿に近かった我が子をここまで育てていただいた先生方に心から感謝申し上げます。もうすぐ11歳です。

 いわゆる授業参観をしながら、しみじみと考えます。 個人的には、あくまで生きる力を身につけるのが教育だと思いますが、もちろん、日本人として、男性として、岡山県民として・・・どう生きるかというのはあります。

 国民の権利があるように、国民として労働の義務、納税の義務、義務教育を受けさせる義務があり、そうした権利義務の主体として生きていけるよう行う教育が、義務教育です。

 ゆえに、基本的には、国語は、いかに伝え、いかに受け止めるかのコミュニケーション能力を高めるものでありますし、算数は、決まりごとに沿っていかに説明できるかの力を養うものですし、社会、特に歴史は、今こうすると、その後どうなるかという因果関係を考える力ですし、理科は、なぜそうなのか?という探究心を育てるものでありますし・・・・要は、生きていくために必要な力です。

 決して、記憶や受験のために義務教育は、ありません。 結局、日々生きている中で、フル回転しているのは、小学校時代の勉強であり、敢えて言えば、そこから先は、全て応用であり、受験は、人生の理不尽や困難に立ち向かっていくための力を身につけるためのものであり、意味が無いものは、一切無いように思います。

 学校の全てに意味があります。いかなる人生を歩んでいくかは、それぞれですが、子ども達の人生のエンジンの容量は、ここで決まります。

 だからこそ、学校や先生方に大いに期待させていただくし、本来のPTA活動は、子ども達のために、そうした先生方を支えていくものだと思います。

 一方で、実社会で生きていくための義務教育は義務教育ですが、ただ本当に人間にとって最も大切な部分、エンジンの土台、思いやりや優しさ、愛し愛される力という基礎的な部分は、やはり家庭教育の範疇だと思います。

 PTAや議員として、思うことやしなくてはいけないことは幾らもありますが、やはり学校に行くたびに思うのは、もしも生まれ変わったら、やっぱり教師になりたいということです.


 夕刻には、旧児童会館横の冒険遊び場に寄らさせて頂きました。
 そこから、岡山県自転車軽自動車商協同組合さんと岡山県バイコロジーをすすめる会主催、中央警察署、交通安全協会、交通協助員さんの後援で、秋の全国交通安全運動の一環として、「自転車利用者の交通ルール遵守・マナー向上キャンペーン」を岡山駅前高島屋さん横で行いました。春は、天満屋さん前でした。

 自転車整備士さんたちが、路上で、自転車の安全チェックをしてくださいました。バイコロジー協会会長として、私の名前が入っているビラを配っていただいていたりして、本当に恐縮でした。

 ともあれ、自転車大国=岡山を創るために英知を結集せねばなりません。

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