2009年9月12日(土) 【混沌(カオス)へ】

 吉備高原の希望学園の体育祭も、生憎の雨で延期。残念です。

 選挙戦最終日は、どの宣(戦)車にも少し冷たく降り注ぎますが、文字通りラストスパート。

 争い事の中にいると、勝つことのみが目的になり、感性が鈍って、戦いの本来の目的が見えなくなる事があります。あくまで、政治は、「治める」ことですから、(できれば、「真に治める」ので、真治というらしい)むしろ、戦いのあとの方が大切です。
 必ずしこりは残りますし、時とともに、有耶無耶に解決するものではありません。勝ち続けた者には、負けた者の、その痛みが分からないのですが、本当に痛いのです。

 まず本来は、あらゆる手段を使って、戦いは避けることです。いわんや、為政者は、私心を廃して、リスクを背負って、まずは戦いにならぬよう捌く、決断するのが、そもそもの仕事です。それがリーダーです。
 治めれなければ、政治家ではありません。

 しかし、戦えば、必ず涙を呑む方がいる、勝った方がバンザイするだけでは済まないのです。力が強かったから勝った、だから、正義だというものでもないのです。
 勝てば、まず謙虚にならないといけません。戦った相手を讃えて、あるいは、詫びないといけないのです。
 決して奢ることなく、勝った者は、負けた者を守る責任があります。

 ともあれ、答は、明夜出ます。


 一方、つらつら考えるに、政治は、明らかに「混沌」の時代に入りました。ある意味、リーダー次第では、もう少し戦いを避けられたという意味では、明らかな人災とも言えます。
 ともあれ、しばらく、治まらないと思います。少なくとも、来夏は、参議院選挙もあります。

 1年半後は、我々も洗礼を受ける統一地方選挙ですが、敢えて言えば、市議でも県議でも、立てる方は立つべきだと思います。
 誰にも答が見えていない混沌期に、誰かに委ねる必要はありません。既存の政治関係者が、未来を分かっているわけでも何でもないのです。立候補に必要なのは、「志」だけです。

 新しい力は、幾らあっても良いのです。私が淘汰されても、それはそれで仕方ないです。県民の皆様が、それを望まれるのなら。
 「混沌」の中から、新機軸は生まれてくるものです。まずは、シャッフルするしかないです。そういう時期なのです。


 ひとつ言えるのは、選挙は、勝たなくてはいけないですが、私は、誰かや何かに勝つために政治をやってはいません。愛と夢を公正に分かち合うために、です。

 例によって、アニメソングですが、深い『愛の金字塔』。
http://www.youtube.com/watch?v=d7jFCUf9Yrs&feature=related

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