2009年5月15日(金)
【倉敷チボリ公園跡地から「救出」したいものがあります】

 地域の婦人会の移動総会のお見送りをさせて頂いて、本日は、臨時議会が開催され、議長、副議長の選挙など予定通り人事が行われました。

 議会休憩中に、最後の総務委員会を開催しましたが、補助金や負担金の問題は、次のメンバーによる委員会に繰越し。
 ともかく、県政史上最も厳しい年の総務委員会の委員長ということで、全く無事ではなかったですが、なんとか全うできました。


 しかし、私が当時の総務委員長として、生涯背負わなくてはいけない責任、悔いが残ります。言うまでもなく、閉園した倉敷チボリ公園についてです。

 直接所管の委員会の委員長を2年続けて、かえってフロアならば違っていたかも、と思うことは幾らもありますし、個人的には閉園を全く望んでいなかったわけですが、議会側の「戦犯」の一人であることに間違いないと思います。

 本意ではないですが、私自身が、子ども達から、倉敷チボリ公園の思い出を奪い去ってしまいました。


 今日、夕刻前に、電気も水も通っていない解体工事が進む倉敷チボリ公園「跡」に、特に入らさせて頂きました。それは、涙が出る風景でした。観られない方が良い風景であり、敢えて言えば、閉園は、やはり「犯罪」に近いと思います。

 一括売却された多くのアトラクションは順次、海外に送られていますが、もはや、船も、チボリ鉄道も、大観覧車もなくなって、瓦礫の山と化しています。
 しかし、美しく咲いた花と徐々に森になってきた木々が残っています。特に、西川緑道公園をイメージして倉敷市が残す、公園中心を流れる用水路脇の緑に、確かに命がいきづいています。


 今日、県に無理を言い、内々に、有志で、倉敷チボリ公園跡地を訪ねた目的は、チボリタワー内にある5m×10mはあろうかという、コペンハーゲンの街並の精確な巨大なジオラマをなんとか、タワーが取り壊される前に、倉敷チボリ公園跡地から「救出」できないかの確認のためです。

 倉敷チボリ公園という名の公園があったことを、残された木々とアンデルセンなどの幾つかの銅像が、我々の記憶に留めるかもしれません。ただしかし、メモリアルの様に、愛おしいものとして、思い出を残そうという動きがありません。皆、いつか忘れてしまう・・・。

 子ども達や、家族の思い出まで、全て壊して、何も無かったことにして良いんだろうか?ほんの少しでも、明日に繋がること・・・。



 実は、この件には、RACDAと県立児童会館が絡んでいます。

 御覧になった方も多いと思いますが、このジオラマは、船も動いていますが、Nゲージにサイズが合っているのです。すごいっ!

 願わくば、当初閉鎖が打ち出されたのに対し、我々も大運動を展開し、指定管理2年の延期まで押し戻した伊島町の県立児童会館に、これを展示したいのです。

 ちなみに、県立児童会館には、3月末で閉館した吉備高原ニューサイエンス館の実験遊具が、移ってきています。
 そして、コペンハーゲンの街並みの中を、倉敷チボリ公園の思い出の中を、日本の電車が駆けめぐる、子ども達に、Nゲージを動かして貰えないか・・・そういう夢なのです。あるいは、大人も結構来ちゃうかもなぁ・・・。Nゲージ持ち込み可!

 恐竜の滑り台、プラネタリウム、コペンハーゲン等々のコラボレーション、そこに子ども達の笑顔があれば、大人も幸せになります。
 願わくば、この勢いで児童会館を・・・。


 そして、ここからは、私の暴走、妄想に近いですが、ジオラマが巨大すぎて、県立児童会館に全ては入りませんので、残り半分を運び込みたい場所があります。

 願わくば、それが、県施設だったものが無償譲渡され、岡山市の管理施設になって、例えば、農業・交通公園にならないか・・・・そういう場所です。ジオラマを受けて貰えるかどうか分かりませんが・・・。

 二度と繰り返しませんという深い反省と、「割れても末に会わむとぞ思ふ」という崇徳院のような気持ち?で、コペンハーゲンのジオラマを分断するという・・・。だから、象徴的な場所に置かなくっちゃ。


 ともあれ、結果として倉敷チボリ公園は、百歩譲っても、岡山県の大失政として、悲しい思い出になってしまうことになっても、しかし、これ以上、財政問題が理由で、子ども達が笑顔になれる場所を絶対に破壊するわけにはいかないです。

 せめて、倉敷チボリ公園にあったもののほんの一部でも、明日の子ども達の笑顔に結びつく様にしたい!

 おそらく、我々の世代は、バブル絶頂期の様な発想で、第二の倉敷チボリ公園を造ることは絶対に出来ないでしょう。
 だからと言って、愚痴を言いながら、音を上げて、あったこと全てを否定して、何もかも壊してしまうこともない、僅かでも、思いや夢を繋げていく、活かしていく、そういう役目に、浪漫を見出したいと思うのです。


 が、しかし、問題は幾つかあります。

 このジオラマは、だいたいが、でかすぎるっ!!おそらく総制作費は、数千万円では済まなかったのではないかと想像されますが、もはや再生不能(不要)の制御板や電気の配線など複雑で、土台も、しっかりしており、必要な?上の部分だけ取り外すにしても、素人のボランティアでなんとかなるというレベルにはありません。

 そもそもが、今日も、懐中電灯で照らしていたわけで、土台を壊すにしても、かなり道具が要りそうです。どう分断して運び出すか、我々の手には負えないところが多々あります。

 仮に、心あるプロに頼んだとしても、幾ら、何日かかるのか?だいたいが、お金をどうするのか?そもそも絶対に公費は出ません。
 ともかく、今日は、簡単な見積もりをお願いして、とりあえず、有志で必要な金額を集めるしかないなという話にはなりました。

 しかも、タイムリミットは、チボリタワーの取り壊しに入る7月末。そこまでに、運び出せなければ、県財産のチボリタワーのただの付属品として、このコペンハーゲンのジオラマは、1分もかからず、瓦礫の山に埋もれてしまいます。


 今の段階で、皆様に何をお願いできるわけではないのですが、倉敷チボリ公園跡地から「救出」したいものがあるのであります、ということを今日の所は、お伝えさせて頂きます。

 また、倉敷チボリ公園跡地から、火事場泥棒の様に、何か持ち出すことができるわけでは全くなく、チボリジャパン社も、県も、現金化できる最大限の努力をしています。

 今回も当然、一般には資産価値的には現金化が難しいものであり、しかも、行政に準じる様な公的な団体が、公的な場所に置くということが大前提になっている、あくまで極めて例外的な話の検討であるということは、付言させて頂きます。

 もっと言えば、岡山県庁職員の誰もが、そもそもが壊したくもないし、活かせるものは、どこかで、活かせるなら活かしてほしいという気持ちを持っています。誰もが切ないのです。

 敢えて言えば、岡山県の資産の中には、このジオラマ以外には、このようなものはないと思われます。一括売却の中には、人形はもちろん、街路灯ひとつの様なものまで含まれています。
 また、当然、解体工事中の現場には、お入りは頂けません。
 そのあたり、どうかご理解下さい。

 『あの時代を忘れない』
 http://www.youtube.com/watch?v=CyhqTI1d0pw

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