2009年1月25日(日) 【今年もベイスターズ】

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 さて、本日は機嫌が良いので、敢えて申し上げますと、4月28日(火)に、我らが横浜ベイスターズが、阪神タイガースとの公式戦で、倉敷マスカットスタジアムに、久方ぶりにやって来ます!! 財政危機ですが、どんなことがあっても、これには行きます。

 県議会議員は、岡山にプロ野球を誘致する会のメンバーでもあり、ファジアーノの応援で桃スタに行くのはもちろん、マスカットにも行かなくてはいけないのです。
 せっかく呼んでも、広島VS阪神でないと席が埋まらず、毎年開催試合数が減ってきております。

 横浜ベイスターズファンの岡山県民の皆様で、岡山に多い阪神ファンの真ん中で、あくまでも、ベイスターズの応援に一緒に行かれる方、どうか、ご一報下さい。
 大丈夫です!今年も優勝しようなどと大それたことは、あまり考えません。ともかく、元気に頑張ろう!!それで良いのだ!

 さぁ、第二国家『熱き星たちよ』を合唱しましょう!(誰も知らん?)
http://jp.youtube.com/watch?v=By-TS_4QhdI&feature=PlayList
&p=4437C67FCE81B7E8&index=16

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【論語読まずの論語知らず】
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 今朝は、朝食を頂きながらの打ち合わせで、岡山プラザホテル9階の展望レストラン。ここからの旭川、後楽園や岡山城の景色は素晴らしいです。
 空に陸に海に、岡山の夢が広がる話をしながらも、行政の対応の鈍さで、なかなか実現しません。トップの腹次第ということが幾らもあります。
 縦割り行政の責任回避もあって、些末なことに囚われた現場の判断があって、情報がトップまで行っていないのかなぁ・・・。


 そこから、後楽園の鶴鳴館で、『声を出して子供と共に論語を読む会』に。今日は、妻子が都合により欠席で、最も学ぶ必要がある私が、出席させて頂きました。
 最近、妻子は、比較的人間的に立派ですが、私はなんとちゃらんぽらんなんだろうなぁと、本当に感じています。私の中では、亡父の極楽とんぼと母の勤勉さが、せめぎ合っています。

 正直なところ、同じ文章を読んでも、聞いたことがある言葉でも、その時々で心に響くところが全く違い、ましてや、こういう政治状況になると、はっとするような言葉が、幾つも幾つもあります。
 「義」や「仁」という言葉が、時として、人間関係のしがらみの代名詞のように使われますが、天や道理として、まさに、今、論語が政治に必要です。寄って立つべきものが、しっかりと書いてあります。

 繰り返し繰り返し、魂に染みこませていた、例えば寺子屋での学習の中に、日本人の精神文化の根本があるとすれば、現代人は、まさに先人の精神文化の貯蓄を食いつぶしているようなものです。

 子ども達よりも、実は、保護者である我々が初めて学んでいる、そのこと自体が問題です。
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【兼六園界隈を越える後楽園界隈に】
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 ところで、後楽園は、『全国都市緑化おかやまフェア』のサブ会場なのですが、3月20日から開会なのですが、まだ、協賛行事等の詰めはこれからです。
http://www.pref.okayama.jp/doboku/ryokkafair/okayama_hanadayori2009.html

 何度も申し上げますが、この催しは、会期中に、岡山市の政令指定都市移行もあり、その岡山市と岡山県の最大の協働事業で、これからの県市の関係を占う意味もある、極めて重要なものです。

 ある意味、役割分担から言えば、倉敷チボリ公園が無くなった今、少なくとも岡山県内から広域的に来場者を呼び込むのは、岡山県サイドが頑張らないといけません。


 昨日、本当にありがたいことに、期間中に御協力頂ける多くのボランティアの方々が集われましたが、今のところ、メイン会場とサブ会場の連絡が明確でありません。

 後楽園に来た観光客が、西大寺のメイン会場に行くという発想があるのかどうか?県内の人間が、自家用車で行くのが前提なのか?いわゆる集客計画があるように、見えません。

 もちろん、交通アクセス的にも、今から思うと、軽便がればなぁ、と思うのですが、メイン会場とサブ会場は、JR赤穂線で繋ごうということのようですが、JR西大寺駅からと同じように、JR西川原・就実駅まで、後楽園からピストン輸送が必要なのかどうか、どうも具体的な議論がされているのかどうか・・・。


 実は、ご案内の通り、岡山城は市管理、後楽園は県の管理で、ボランティアガイドさんも、十分知識も熱意も持っておられるのですが、後楽園側から月見橋を渡って・・・という県市の連携には、課題があります。

 ましてや、西川緑道公園も、協賛の会場とされていますから、西川緑道公園、岡山城、後楽園、西大寺メイン会場は、情報を共有して、一体的に考える必要あります。


 ともあれ、この機に、後楽園界隈の文化ゾーンについても、来年の国民文化祭を見越して、国・県・市で一体に考えるチャンスであり、逆に、ここの連携が失敗すれば、来年も、思い遣られるという事態になります。


 農政局跡は、現在の後楽館中高の旧南方小学校への移動で、いずれ、出石町再開発と相俟って、いわば、兼六園周辺に絶対に負けない観光・文化ゾーンにする、種地になります。

 岡山市が政令指定都市になろうとする今、県市一体で、旭川まで加味すれば国と一体となって、今まさに、グランドデザインを描かなくてはいけない時です。

 これは、シンフォニーホールの観光物産センターも絡んでくることですし、かねてから申し上げている「商店街大回廊」も含めた中心市街地の絵を描く必要があるということです。

 ひとり緑化フェアだけの問題ではないのです。
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【『いつかきっと』】
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 会葬を経て、『DV防止サポートシステムをつなぐ会・岡山』の勉強会に。何がどうというわけではなく、久方ぶりなのですが、昨年、DV防止法改正で、岡山県がDV基本計画を作ったので、市町村も、DVの実態把握と対策を行う庁内連携のために、基本計画を作るべきだということを県サイドから要望しているようでもありました。

 特に、国から降りて来るのを受けた抽象的な県の基本計画と違い、より直接に、市民と接する市町村においては、マンパワーやプライバシーの問題、何よりも予算について、厳しい現状からは、県が、啓蒙のための研修会等を開催するだけでなく、具体的に有効な補助制度を含めて、市町村の実態を伺った上で、むしろ、いかに支援できるかこそが、問題のように思いました。
 大切なのは、絵に描いた労作である計画よりも、具体的な予算を伴う事業です。


 とりわけ、県の基本計画に掲げられた実態調査すら、県自身が行えていないのは問題で、まずは率先垂範で、基本計画から実施計画、具体的事業の予算化を県が、どんどん行っていかなくてはいけません。
 加害者更生は、基本中の基本として考えるべきことであり、国の調査を待つ理由もなければ、例えば、鳥取県のような、デートDVのようなDV法対象外暴力被害者一時保護事業のような単県事業は具体的に進めるべきです。

 なによりも、県の広域行政の補完機能から考えれば、岡山市や倉敷市のようには、市町村が自立して、DV対策が出来ないうちは、あるいは、各種機関との連携、広域対応が必要な場面は、積極的な県の出番であり、むしろ真価が問われるところだと思います。

 自立を考えたときには、当該地で可能かどうかという視点も当然必要で、住民同士が、ある意味近すぎる市町村内では、自己完結は、まずしないかもしれません。

 県が、果たすべき応分の負担をせず、それ相応の汗をかかずに、上から目線で市町村に当たるならば、国の態度と何ら変わりません。むしろ、この種の問題は、県の出番があると認識しています。


 一方、個別具体的な問題では、自立支援のために、DV被害者が、生活保護を受け取らずに、自分で生き抜いていくパワーを維持するためにも、弾力的な児童手当、児童扶養手当の支給、保育料の減免が必要だという現場からの声については、即対応すべきだと思います。そういう生き方を応援しないといけません。

 さらに、自立をするときの子ども達の支援について、とりあえず命の危険が無くなれば、児童相談所の手を離れ、判定をするような場面は無くなりますし、そうした中、子ども達の癒しの機会、場所はないのか、10歳までのファミリーサポートも、せめて小学校卒業までに出来ないか、具体的にやるべきが多くあることを痛感させて頂きました。


 あくまで、個人的な思い込みもあるかもしれませんが、児童虐待とDVの問題は裏腹だと思いますが、一方で、例えば、不幸にして暴力を受ける状態にあったけれども、そこを脱して、自立して生き抜いていこうとする母親の背中を見て育つ子ども達に、本当に幸せになって欲しいと思います。

 むしろ、私は、子ども達に視点があるかもしれません。

 DV法でもありますが、愛すべき両親が仲違いし、例えば、愛する母が、愛すべき父に殴打される様を見るのは、子どもにとって地獄以外の何物でもありません。
 しかも、ボロボロになりながら、母親が、自分を守るために耐えているのが感じられたら、子どもにとっては、人生の十字架のように重いものに違いありません。

 でも、受け止めるしかありません。悲しみは、他人にぶつけてはいけないのです。

 しかし、そういう宿命を背負っても、天命を感じ、使命を果たせば、運命は、自分自身の力で変えることが出来る、幸せな温かい家庭をそうした環境下の子ども達には、きっと築いて欲しい。それが願いだから、行政として、すべきこと、できることは、どんどんすれば良いと思うのです。

 意外に、そういう子ども達の中からこそ、人に希望を与えたり、世の中を明るくする人間が生まれてくるものなのです。
 少なくとも、私は、そう信じています。

 『いつかきっと』
http://jp.youtube.com/watch?v=LUazvkmUV8Y&feature=related
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