2009年1月9日(金)【岡山空港利用者2000万人】

 本日は、総務委員長として、「岡山空港利用者2000万人達成記念式典」。知事と並んで、くす玉が割ることができて楽しかったです。久々に、ともあれ陽気です。

 岡山空港の開港は、昭和63年3月、そこから20年で、累計で2000万人。県管理の第三種空港としては最速ですし、昨年度実績は、55箇所の地方管理空港では、神戸、石垣に次いで第三位。
 東京便のダブルトラックやデイリーとなったソウル便など、国際線も増えてきています。今後必要とすれば、ロシアかしら・・・。

 ただ、廃線にならないかと常に搭乗率が気になる路線もありますし、ライバルの広島空港や高松空港にも、累計では勝てていませんし、何より、3000mの滑走路は、生かし切れていません。
 最大の利点である交通の結節点の3100台の無料駐車場を有料化するという議論は、当座見送られていますが、ビジネスジェット基地構想はじめ、課題はあります。
 なんとか、中四国随一の空港にしていきたいものです。


 まずは、国際線の第2ターミナルを拡張しますが、この景気に、サーチャージというのは、気になりますが、円高は円高で、海外旅行のチャンスではあります。問題は、先立つものと時間がない!
 結局、グァムと大連は、私も行った事がありません。できるなら、空路利用促進のためにという理由で、外国に飛んでいきたい・・・。

 それにしても、バブルのいけいけどんどんの20年前の昭和63年春には、岡山空港も瀬戸大橋も開通し、岡山も活気があったのだ思われます。この頃は、政治も世の中も、さぞかし、愉快だったのでしょう。
 しかし、その頃、私は、故郷を遠くに感じながら、青春18きっぷでも乗ることが出来る青函連絡船に乗り、そのさようならに、黄昏れていたのでした。

 ついでに書けば、私が産まれて初めて飛行機に乗ったのは、29歳になってからで、しかも、最初が、関空からスリランカを目指して、タイ航空でした。逢沢事務所には、イラン出張があるとは思っていませんでしたが・・・。

 何度乗っても、私は、飛行機に乗るというだけで、ときめきがあります。飛行機に乗る日は、野村のカツ丼を食べる日のような、どこか特別な日です。


 その後、あちこち寄りながらながら、途中、情緒障害児短期治療施設にも立ち寄りましたが、発達障害という概念の曖昧さや、財政構造改革の中で、将来的に県施設を民間移譲しても、職員の派遣等、現場との交流の必要があるという認識を強く持ちました。

 それにしても、岡山市の政令指定都市移行のメリットのひとつに、児童相談所の業務が移ることが挙げられるのが、さっぱり分かりません。

 その後、ケアセンターなどにも寄り、夕刻からは、私学関係の新年互例会に向かいます。

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