2008年12月13日(土) 【思いやりと優しさ】

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 本日は、午後から、ファジアーノ岡山FC報告会をはさみ、忘年会が5つ。忘年会の話題を明るくしようと今年は頑張っていますが、どう考えても、体力的、精神的、ついでに金銭的にも、こういうはしごは、もうもたないと思います。
 それもあって、今は心穏やかに、事務作業をしています。


 さて、今年を表す漢字一文字は「変」。

 「変化」の中で、「変」な事も多いのですが、今一番の楽しみは、馬場俊英の大阪城ホールの1万人のピースです。なにしろ、この年になるまで、ただコンサートに行くというだけの理由で、県外に行くのは初めてで、チケットのこの席がどこなのかからして、ワクワクするわけです。しかも、妻子を放っておき、一人で行きます。
 馬場俊英には、人生の歌があるから、こちらも本気なわけです。

 ところで、最近、鉄ちゃんの小学2年生の息子が、0系とのコラボの馬場俊英の曲を携帯にダウンロード。非常にしぶい曲を口ずさんでいます。http://0kei88.com/ 我が家の今年の10大ニュースの中には、確実に0系新幹線引退が入ります。

 ただ、馬場俊英の中に、基本的には演歌を感じている自分も発見しており、最近、おちょこでいっぱいの美味い日本酒がやっぱり良いなと感じたりもして、年を取るのも悪くないね〜、やっぱり日本って良いな〜と、しみじみするという、変化と言えば変化なのです。
今度からカラオケは、これで行こうかと↓
          http://jp.youtube.com/watch?v=50_cxqVAnYY
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 さて昨日の盛和塾の「思いやりと優しさ」というものを考えるにつけ、政治に関わる者に、「思いやりと優しさ」がないわけもないのですが、問題は、どう「思い遣る」かということで、この点については、結局は、幾ら頭で考えても、本を読んでも、話を聞いても、経験以外に元根本が無いのだと思います。
 その言葉には、人生の裏打ちが必要です。

 「思いやりと優しさ」があるだけでは、「弱さ」と紙一重で、「思いやりと優しさ」を持つには、「強さ」が必要で、それは、試練を越えない限り、身に付かないものだと思います。

 私の息子は、妻が偉いのでしょうが、親から見ても、本当に立派なところもある人なのですが、男親としては、優しすぎて心配です。でも、これから、男として、幾つか試練を経て、強く大きくなって貰いたいと思うのと同時に、何もなく、ぼんやりと楽しく、つつがなく、人生を送って欲しいと思うのと両方の気持ちがあります。
 彼の命が分かって始めたのですから、私が死んだら、「こころ」を読んで欲しいという気持ちも、常にあります。


 経営者であれ、政治家であれ、トップに立つ者が、いわば青春時代に、試練とその克服という、人生経験が不足して、他者への共感力、共鳴力、影響力がないとすれば、それ自体が、致命的な欠点とも言えます。人は自分の経験以上には語れません。
 稲盛氏が、おっしゃられるから、やっぱり、その言葉を極めて重く考えなくてはいけないと思います。

 「幸運は試練である」とすれば、類い希なる環境にいた者が、その立場から、それを克服せず、幾ら思い遣って下さっても、今時の言葉で言えば、「上から目線」、およそ謙虚さを欠いた(欠いていることにすら気がつかない)傲慢な「施し」になり、何よりも、貰ってばかりの人生であれば、常になにがしかの見返りを期待したもののように他者の目には映って、およそ、なにもかも、人の胸に響かないということになります。

 同じ「思いやりと優しさ」という言葉でも、その本質が、自己愛か利他愛で、発する人によって、意味が全く異なります。
 その言葉が、時として、本当に求めているのは、自分への甘えであったり、自分への称賛だけかもしれないとすれば、因果は良いようには巡らないのだと思います。そのことを自戒します。

 もっとも、後付で試練が来るなら、それを堂々越えて行けば良いだけのこと。死ぬまで、人生に切りはないです。いつだって始められるのですから。


 それにしても、ここで、事業規模で総額40兆円の景気対策を打つことは早急になすべき事ですが、未来のためには、時の民意に抗うことも必要な時もあると思いますが、常に、選挙という政局に翻弄され、政治家のスケールが、日々小さくなっていくようです。

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