2008年5月25日(日) 【西川で遊ぶ】

 7月12日の自民党県連青年部局の主催の「第4回日本の未来創造セミナー『障害者の真の自立のために〜障害者自立支援法を考える〜』」の講師として、「与党障害者自立支援に関するプロジェクトチーム」の座長・木村義雄衆議院議員の来岡が、内定しました。
http://kimuyoshi.net/content02.html
 引き続き、厚労省の担当の招聘で調整しています。

 なお、発達障害については、別の形で考えています。



 とりあえず行きましたが、水たまりのグラウンドに誰もおられず、昨夜未明までの雨で、スポ少のソフトボール招待試合が中止。

 そこで、朝8時から、町内の溝・川掃除に、息子と。取水期を前にしての毎年恒例の西川の清掃なのですが、降雨に関係なく、水量の調整がきくのは、用水だからです。
 この点、某所で、酸欠で、アユモドキが死んだのは残念ですが、それだけ流量の調整が極めて難しいということでしょう。


 もっとも、清掃も、子供がいると、だんだんと魚獲り状態に。実は、西川には、アユもいるのですが、バケツで掬ったオイカワやヨシノボリは食べる気がしないないので、「キャッチアンドリリース!(cf 他に、ヒットエンドラーン!=鳥居みゆき←めっぽう美人なのに、このメゲ方が好きです)」。

 スーパーの自転車置き場の下は、なぜか、鍵だらけ・・・。自転車泥棒が放り込むのでしょうか?鼻ぐり塚?
 とにかく、川に物を捨てないで!!


 私もご幼少のみぎり?は、岡ビル前から平和町まで、今の桃太郎大通りの下を潜って、西川で、ドンコをとったものです。缶々で足を切ったり、はまったりするのもご愛敬でした。

 記憶の中には、砂地の西川もあって、近所の子どもは、浅ければ西川に入って遊ぶのは当たり前でしたが、下がコンクリートになって、綺麗にはなりましたが、弟は、橋の上から、ニゴイを銛で突くぐらい、川に入り難くなりました。

 当然、亡父が子どもの頃は、泳いでいたわけですが、なぜかチョウトンボも多くいて、「亡くなった人の生まれ変わりだから捕るな」と祖母に言われていたのを思い出します。
 岡山大空襲で、灼熱地獄の中、西川にも多くの遺体が浮いていたのです。・・・だから、桶屋町が、平和町に改名したので、麻雀とは関係ありません。
 もっとも、私は、何匹、ネズミ取りにかかったネズミを溺死させたか分かりませんが・・・。農家の皆様すみません。35年前のことです。

 ともあれ、西川緑道公園について、何かお洒落なものとして、したり顔で言われる方もいますが、それはそれで良いとして、岡山の水田を守る大幹線である西川用水は、もっともっと私達の暮らしに近い川であり、それは、実は、今も変わらないのです。
 親水性というのは、やはり、本当に水に入らないと・・・。



 前々から申しておりますが、なんとか、子ども達を西川に入れたい!!できれば、南方から柳町まで、ゴムボートで下りたい!桃太郎大通りの下なんて、大冒険!!

 特に、市内中心部の子ども達に、西川に入る楽しみを知って貰いたいし、なんで西川があって、その水がどこから来てどこに流れていくのか?学ぶ場が欲しいです。

 この考えは、意匠登録しておりませんが、私なんとか、遠くない将来、やってみたいと思っています。
 もちろん絶対に取水期を外さないといけませんが。


 先ほどまで、地元連合町内会の総会および懇親会が平和町で。片山虎之助前参議院自民党幹事長も長くおられて、気持ちの良い会で、したがって、現在、微妙に良い気分で、いつも以上に、文章が乱れておったらすみません。ヒットエンドラ〜〜ン!

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