2008年4月12日(土) 【瀬戸大橋開通20周年】

 今朝は、昭和63年4月10日に開通した瀬戸大橋の開通20周年記念式典が、瀬戸大橋与島パーキングエリア・与島プラザで開催されました。フィッシャーマンズ・ワーフ会場も、春の陽気に結構な賑わいでした。

 帰路に、児島ICで降りて、鷲羽山から由加山まで回ってみると、今年は、特に桜がもっていることもあり、やはり、岡山の瀬戸内海が日本一美しいのだと胸を張って言える美しさでした。
 明日は、橋上ウォークなども開催されます。

 工事が始まった昭和53年頃も、櫃石島で泳いでいた記憶があります。児島の母の実家への里帰りで、毎年、鷲羽山界隈で泳いでいた頃には、もちろん下津井電鉄も走っていましたが、中学時代の渋川までのサイクリングにしても、夏休みの思い出には、瀬戸大橋がある瀬戸内海は、登場しません。

 むしろ、バブルの時代の大学時代には、瀬戸大橋開通の喜びよりも、青春18きっぷで乗れる青函連絡船や宇高連絡船が無くなる方が切なかった記憶あります。


 おそらく、20年前に、本当に瀬戸大橋開通に汗をかかれた方は、鬼籍に入っておられるかもしれません。
 今になって、あれこれと言うのは容易いですが、これだけの事業は、もう二度とできないかもしれません。物凄いことです。
 その点に感謝しながら、どう活かすかは、我々の責務です。


 この20年で、瀬戸大橋は、9900万台の車が通り、1億9000万人の乗客が鉄道で往き来しました。
 ただ、独立行政法人日本高速道路保有債務返済機構という組織があるぐらい、深刻な状況であるわけですが、通常の高速道路の最大6.4倍という高さが続く限り、瀬戸大橋の潜在能力を活かし切ることはできません。

 来賓挨拶の中で、平井国土交通副大臣と江田参議院議長の間で、暫定税率の議論についての鞘当てもありましたが、中四国州を歌うにしても、瀬戸大橋の通行料の馬鹿高さが、夢の阻害要因になっているのは間違いないのですから、どういう手段でも良いので、国においても、早急に策を講じて欲しいものです。

 また、道路特定財源を一般財源化するのならば、25円や17円の積算根拠も無くなるはずですが、地方の直接の財源にして頂きたいものです。使い方は、こちらで考えます。
 特定目的の財源でないのならば、国のために、地方が闘わされる理由がありません。
 と言うよりも、一般財源で、本当に国が超過課税できるんか?


 それにしても、昭和53年から63年までの10年間よりも、昭和63年から平成20年の20年間のほうが、遙かに短く感じます。

 今年が、埼玉西武ライオンズの球団設立30周年、福岡ソフトバンクホークスの福岡移転20周年って、ご存知でしょうか?
 広島東洋カープの初優勝は、昭和50年ですが、その30年前と言えば、終戦の年です。
 仮に、これから30年生きたとしても、あっという間なのかしら・・。ちょっと怖いですね。

 なにより、20年後、30年後に資産として残り、あるいは、評価される事業が、今どれだけあるだろうか・・・・。
 政治家のスケールは、時代とまるで反比例・・・。仕方ないかな。

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