2008年3月15日(土)
【おとうさんは、ウルトラマンではないのだが、】

 運転をしていて日が差し込むと暑いくらいです。広島から、呉経由で帰ってきましたが、瀬戸内海が、なんとも穏やかでした。
 宿で、夜中に、『硫黄島からの手紙』と『デスノート前・後編』の3作品を観てヘトヘト。


 朝一の広島での大会では、そもそもの原典は韓愈だと思いますが、漱石の言葉として、「我も人なり 彼も人なり」が、響きました。

 「びびるな!」という意味ではなくて、「自分以外の人間を人と思わない」風潮への警鐘ととると、ずいぶん深みがあるのは、「情けは人のためならず」の誤解釈に近い、間違いだったのかも。

 共生の大前提は、銘々が、「何様のつもりじゃ?」という言葉に、どう応えられるか。己だけ特別だと思う人間が、増えたのだなぁ。



 岡山に戻って、妻が当番だったので、岡山子ども劇場の『おとうさんはウルトラマン』を観ました。正義の味方のウルトラマンのみならず、いつも負けてばかりの哀愁のバルタン星人も、子どもに尊敬される、素敵なおとうさん。

 圧倒的に、子どもとお母さんでしたが、お父さんこそ観るべき、お父さんの気持ちをしみじみと伝える楽しい芝居でした。ただ、子どもに簡単に理解されるようでは、私の描く父親像では、ないかもしれません。

 思うに、家庭崩壊の根本は、父子関係のねじれ。「お父さんなんか大嫌いだ!!」と、いずれ、私も言われるに違いありませんが、己のオリジナルの道を見出すために、息子には越えていくべき大きな壁になってやるのが、父の役目。

 男同士が、父子で、友達になる必要はありません。息子に理解されようと媚びも売らんし、君は君で、勝手にやってくれたまえ。
 それよりも何よりも、自分の人生で、親がどうとかで、子どもが苦しむことはないのです。それが、本音です。

 相田みつを かく歌えり

  『子供へ一首
   どのような道を どのように歩くとも
   いのちいっぱいに 生きればいいぞ 』

 中学生の頃には、親父の顔など見るのも嫌になるぐらい、思い切り反抗して、二十歳過ぎたら、一緒に居酒屋に行けたら、父子は、それでよろしい。

 墓石の前で、線香を上げながら、「思えば親父も、気の毒なところもあったな。」と、しみじみ思い出せば、なお良し。そこで初めてそれでも家族を守ろうとしていたことを理解すれば良いのです。

 それにしても、息子は、結構出来た人で、時々、「こいつ偉いなぁ」と、本当に感心することがあるので、今のところ、ほとんど怒ったことがありません。というか、怒るのが面倒くさいのです。

 私が、いろいろ書いたり、連れて行くのは、アリバイ工作に過ぎないのだ。私が、高校生になって、小学生の頃、相撲をとって貰ったこともない!と、亡父を責めたぐらいの攻撃は、当然あるでしょうから、それをかわすためなのだ。

 ただ、いないから分かりませんが、娘だったら、こうではないと思います。きっとデレデレで、どうしようもないほど甘やかす親父だと思います。



 夕刻には、中央公民館で、「地域と共に明日の旭川を考える会」。やはり、問題は、東・西中島。

 百間川の河口水門が、平成24年までに、1200tから2450tに、改築され、荒手を削ると、東・西中島で、30cm、後楽園で50cm水位が下がり、平成10年規模の水害は起きないとのことです。

 ただ、都市計画で、公園化の構想があるものの、一島にするのか、二島にするのか、どこまで用地購入するのか、住居は一部でも残るのか、議論は進んでいません。
 また、京橋、中橋、小橋は、路面電車が走り、現在の基準に合致しない橋を上げることはできません。政令指定都市になれば、県道は、市管理になります。

 今日もまた、県、市、農水省に絡む問題が、地域の方から多く出されて、国交省河川局だけでは、答えようもないものが多くありました。
 しかし、国が地域に出向いて、15回に及ぶ公聴会をこれだけ丁寧に行っておられることは、非常に高く評価できることで、問題は、この先の具体化のための行政間の連携です。


 障害者自立支援法でもそうですが、国、県、市、行政、企業、事業所、現場、県民・市民が、一同に会して、意見交換をすることが、必要です。
 それをコーディネートするのが、地方議員や地方の政党の役目かもしれません。

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