2008年3月6日(木) 【民の代表としての知事】

 一般質問3日目。
 34回目の一般質問が終わりましたが、なんとも微妙で、ともかく、知事が、質問時間より長く、20分以上、答弁書に目を落とさずに、非常に人間くささが感じられた答弁をされたという、石井県政初の出来事でした。

 自由演技の一般質問なら、あぁこういう聞き方もあるんだなぁ、と自分で感心しましたが、30回以上回数を重ねていられるからできる変化球かもしれません。

 ただ、傍聴頂けた方には分かり易かったとは思うのですが、なんというか、具体的に報告すべきものがないと申しますか、知事にとって、あるいは、県民の皆様にとっては、良かったと思いますが・・・要は、知事が思いを語られた(「熱く語った」と言えないのは、性格なのでしょう。)ので・・・個人的には、非常におもしろかったのですが・・・。

 うーん、なんだったのかな。主観が入るので、マスコミや他の議員の評価を待ちます。今議会で印象に残る場面であったのは、間違いありません。

 もっとも、私が申し上げたかったのは、私自身の自戒を込めた下記の言葉で、知事は、当然、「民の代表」であり、東国原宮崎県知事や橋下大阪府知事に、「思い」は負けない、と、答弁されました。
 突きつめれば、万事、この一点に尽きるのです。



 一方で、政務調査費に関する情報公開と政令指定都市の意見書の議員発議について等、議員総会。

 政令市の議員発議については、事実上党議拘束がかかりましたので、総務委員会よりも先に、3月10日の我が行財政改革・道州制等特別委員会において、委員長として、私が発議する方向です。

 歴史的な発議です。ただ、様々な意見を持つ議員もあられるようで、美しく泳ぐ白鳥の如く、ドタバタの水面下は見せないように、各方向の調整に追われています。

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(本日の一般質問より)

 一方で、このところ、東国原宮崎県知事や、橋下大阪府知事の誕生という、一概に、タレント知事とは言えない、知事の登場が話題をさらっています。

 時として、マスコミが作り上げた偶像に、有権者が踊らされているような評価がありますが、私は全くそうは思いません。
 彼らに共通しているのは、官でなく、民の人であるということです。感性が、市民、県民に近いのです。そして、今より良くなるかどうか分からないが、ともかく、今を変える、閉塞感を打破する、強烈な変革を求めているのでしょう。

 そして、そこに、己を擲っている、捨て身の姿が感じられるからこそ、共感を呼ぶのではないでしょうか。
 行政経験の有無が問題なのではなくて、彼らなら、旧弊を打ち破ってくれる、あるいは、私達と同じ感性で、一緒に、笑ってくれる、泣いてくれる、怒ってくれる、ある意味で、官と闘ってくれる、そう思うから、応援するのだと思います。

 かって、西郷南洲は、『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり』という遺訓を遺されています。

 いつのまにやら、いろんなことが惜しくなる、守りたくなる、逃げたり、投げ出したり、責任をとるのが怖くなる、だから、物事が変えられなくなる、そのことを私自身も、自戒しますが、知事は、民の代表として闘う、そういう他府県の知事の姿をどう感じられますか?

 知事は、官の代表ですか?民の代表ですか?東国原宮崎県知事や、橋下大阪府知事に、その「思い」において、負けることはありませんね?

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