2008年1月3日(木) 【涙の縄跳び】

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 先ほど総合グラウンドの空は、新春の青空で、家族連れが、凧あげをする澄んだ空に、昨日のある方の新年早々の訃報を思いました。

 まだお会いできていないので、ピンと来ていないのですが、「人の値打ちとたばこの味は、煙になって分かるもの」という言葉のように、じわじわと、その方のおられないことが、響いてくるような本当に大切な方でした。

 陰に日向に支えて頂いたのですが、何もお返しができていません。今年も幾つもの出会いと別れがあるのでしょうが、さようならという言葉が、少しでも少ない年であって欲しいです。

 空が青すぎて、さようならが、分かりません。・・ただ合掌。


 今日から新年会もあり、明日からは、事務はじめで、その前に、花きの初競りと街頭演説からスタートです。明日から、また気合いを入れて、今年一年、頑張っていきましょい!!
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 私も多少関係していますが、年末年始は、総合グラウンドが開放されています。もちろん、武道館やアリーナでなく、駐車場は、帰省の方などのために、自由に駐められるのです。
 今日は、不思議なほど、人が少なかったです。


 そんなこともあり、先ほどまで、我が子の体育。妻から、縄跳びが、物凄いことになっていると「報告」を受けており、まずは、バトミントンから。昨日の後楽園の羽子板から感じていましたが、なぜそうなるのか?まるで、欽ちゃんのコントを見ているようで、続くキャッチボールにも、目がくらみました。これは、いったいなんたることか・・・・。お、お、お、おもしろすぎる・・・。
 やろうと思わないし、やろうと思っても、これはできんだろう!!

 実は、正月はもとより、休日に父子で、「体育」をするようなことがなかったため、本当に申し訳なく思いました。私は、三人兄弟の真ん中で、野田屋町の岡ビル前遊園地は、当時子供が、うじゃうじゃいて、肥満児でも、球技は出来ますし、争い事は、必ずしも嫌ではありませんし、最後の最後は、「おどりゃぁ〜!!」です。

 どちらかと言うなら、喧嘩ならするで!でも、わし、本当に何するか自分でもわからんけぇ、やめとこうやぁ、というタイプです。もちろん、口喧嘩で負ける気は、さらさらありません。

 一方、我が子は、博愛主義、平和主義者なので、この世の中、それで渡っていけるのか?と、非常に不安に思ってもいます。兄弟がいれば、親父がもっと遊んでやっていれば、もう少し腕白だったかなぁ・・・。


 そして、縄跳び・・・・。そう、鉄棒の逆上がりができなかった私でも、縄跳びは、ここまでは・・・という状況で、学年で、2人しかいないという跳びっぷりに、頭がクラクラしました。

 子どものかわいさに、縄跳びは全く関係はないですが、教える妻も、だんだんとまじで、子どもが泣きながら跳ぶ縄跳びは、悲壮感すらありました。


 ま、こういうことは、あった方が良いとは思うのですが、たいへんだな。でも、長距離走大会でビリになった親父としては、驚くには値しません。それにしても、私の両親も、亡父はサッカー、母は、ソフトと、スポーツ万能だったのに、なんでこうなったのか。

 私は、細胞数が増える小2が、そもそも肥満児になる年なのだと最近まで思っていました。しかし、よく考えると、弟が、私が小2の時に、生まれているのです。結構、生涯を規定するのかもな。このあたりの体験は、本当に大切です。

 彼が幾つになっても、正月に、縄跳びで泣いていた息子の姿は、忘れないと思いますが、それがどう活きるかが、本人の人生です。


 中学か高校の時の親子げんかで、亡父に、「子どもの頃、相撲もとって貰ったことがない」と言ったのが、後日、かなり効いたというのを聞きました。

 せめて、今年は、息子とキャッチボールができるぐらいの余裕は欲しいです。「親父のせいで、縄跳びが出来ん!!」と、将来言われても困るしなぁ・・・。

 こうした普通のことが、とても大切に思えた我が家の正月でした。


 それにしても、どこの家にもあるような、ささやかな幸せをしっかりと守りきる政治でありたいものです。

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