2007年9月21日(金) 【妙正寺川のほとりで】

 どうも総裁選挙は、党員投票も、予想以上の低投票率のようです。また、倉敷チボリ公園や政令指定都市について、党内で勉強会等も動くようですが、前者については、執行部攻撃をすれば、事が解決するわけではなく、大切なのは、対案です。

 今朝は、午前9時から、党本部で、自民党青年局主催の自民党総裁選挙の「公開討論会」。各県連の青年部局の代表と青年局所属の国会議員、さらには、学生代表やオブザーバーなど、200人規模の会場で、我々も、ほぼかぶりつきで、席を確保しました。
 午前10時から、福田候補、麻生候補が、それぞれ別々に、1時間の持ち時間で、20分話され、40分質疑応答。いわゆる討論ではないのですが、全てマスコミにオープンで、候補の個性の違いが強烈に出て非常におもしろかったです。


 せっかく上京したので、トリで、まずは、岡山県連の役員辞任の話をさせて頂き、不所持や失言に対しての責任の取り方、いわゆる危機管理について、福田候補に質問させて頂きました。総理・総裁候補に、一県議会議員が、かなり自由に発言できるという意味では、我が党は、確かに開かれていると思います。

 福田候補は、「はらわたが煮えくりかえるほど腹が立っているはずを穏やかな表現をされてありがとうございます。この問題は必ず出ると覚悟しておりましたが・・・」と前置きされた上で、誠意ある解答であったような気がします。明日のマスコミがこのあたり報道するかどうかわかりませんが、ある意味、内輪なので、舌鋒鋭くとはなりにくいのは否めません。

 麻生候補には、外交関係の質問が多く、義務教育の見直しが、中学ではなく、幼稚園の3歳児保育からの義務教育9年にすべきだという独自説や、街頭演説の効用など、非常にもおもしろかったです。

 ともあれ、総裁選挙の結果はさることながら、県連青年局長として、中央に出て行く限りは、岡山県の誇りをかけて、海外研修であれなんであれ、なんか必ず言って帰るという決意で、今後も取り組んで参ります。

 その後、なにか久方ぶりに、議員会館の逢沢事務所に。私は、都合半年間ほどの東京勤務でしたが、今から思うと、懐かしいような、続いているような妙な感じです。
 そう言えば、自民党本部から、佐藤ゆかり議員の後ろをついて、議員会館まで歩いていきましたが、永田村は、やはりちょっと変わった雰囲気のところです。


 なお、昨日の深夜の宿から、今日帰りの新幹線まで、太田県議と一緒でした。この春、岡山市議から転じられましたが、同い年で、小倉議員同様、岡山JCの仲間ですから、ともに活動できるのは実にありがたいことです。このところ、「あさかぜ」の街頭演説も、2人で行う場合も、あります。
 結局、岡山市内の県連青年局所属県議は、この3人だけなので、街頭演説で3人揃えば、岡山市の青年局県議豪華フルメンバーです。



 余談ですが、昨夜は、上京してあてどもなく行くとすれば、靖国神社か大隈講堂のわけですが、例によって、高田馬場まで行き、さかえ通りの「洋包丁」で、「スタミナ焼きランチ」を食べました。
 初めて、量が多いな、と思いました。

 おそらく、我が平和町北部町内会の「野村のカツ丼」ぐらい頻繁に、「こころ」に出てきますが、もし私が、いつか行方不明になるようなことがあれば、せいぜい行く先は、高田馬場です。
 そこで、そこにいるはずもない大学時代の友人と話をしているでしょう。もう20年も前に戻って。

 寝るだけだったので、さかえ通りを抜けて、大学時代の下宿先まで、とぼとぼ歩きました。西武新宿線の下落合駅あたりの妙正寺川の風景が、私の青春時代の風景です。
 はっきり言って、ちょっと冴えないです。あまり楽しかったという記憶がありません。当時、周辺の景色を全く見ていなかったので、何がどう変わったかも分かりません。

 妙正寺川は、いずれ神田川に合流しますが、深い底を覗き込んでも、しょぼしょぼ流れています。その川沿いを歩いていた昔の自分と少し会話をしましたが、ちっとも、おもしろくありません。
 要するに、彼は、私をまだ認めていません。「懐かしむな、バカ。」

 下宿はなくなっていて、今の東京に、帰るところはなく、昔の自分とケンカをしながら、中井駅から西武新宿駅まで電車に乗りました。結局、追い返されました。だから、私の早稲田は終わりません。

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