2007年5月12日(土) 【ナイフのおっさんの歌】

 先ほどまで、選挙を手伝ってくれた仲間の就職お祝い会があり、非常に気分が良いので、久々の無茶苦茶長い戯れ言です。

 本日は、岡山市のからみで、農水畜産課「岡山とれたて魚フェスタ」に、公園緑地課「西川緑道まつり」。特に後者は、下石井公園から移って、野田屋町公園で開催されました。

 「野田屋町公園」という名称は初めて聞いたのですが、我々は、俗に「岡ビル前遊園地」と称しています。実は、家業の陶器屋の倉庫と生家が隣接していて、私は小学校6年生まで、この遊園地を文字通り庭にして育っています。

 通った小学校が地域外だったのですが、当時は、会社員よりも商売人の子供がうじゃうじゃいて、妙に下町っぽい雰囲気の中、遊園地は子供だらけでした。どの子も、生活感に溢れていました。

 あの頃の野田屋町界隈には、不思議なことに、ビートたけしの『たけしくんハイ!』の下町の雰囲気が懐かしいように感じられるものがありました。


 今日は、当時以上に子ども達が走り回り、本当に嬉しく思いました。我が子が、コンクリートの遊び山に登る姿をしみじみと眺めながら、私も、「お山の大将僕一人」と上に上がってみると、なんと山が小さかったのだろうと驚きました。私の記憶の中では、もっともっと広い公園なのですが。

 一方で、職住近接というより職住上下の画期的な造りの岡ビル百貨店は、昔と少しも変わらない庶民のパワーを発散させています。この街で育ったんだなぁ・・・。

 よく、「庶民的ですね〜。」と言われますが、私は、今だかって庶民以外やったことはありません。「的」とはなんだ!チクロを食べても平気な育ちです。

 やはり議員控え室の体が沈むような椅子には、なかなか慣れないものがありますが、議場の深い椅子に座っても、コンクリートの遊び山の鉄柵に座る気持ちは、忘れずにいたいものだな、と思います。


 いっぺんにいろんなことを思い出しました。


 岡ビル百貨店の中を夜には、シャッターにぶち当たりながら自転車で快走し、遊園地では、ランチン(ビー玉)をして、泥団子を作り、ゴマダラカミキリを爆竹で吹き飛ばし、ブーメランを投げ、西川に入ってドンコを掬ったり、時々、大冒険で、富田町のやまや(くじを「早うひかれぇ!」と責め立てる「やまやのばばぁ」という響きが、たまらない!)に、行っていました。

 そう言えば、隣の八百屋のお兄さんは、よくキャッチボールをしてくれました。卵みたいな爺さんがいる卵屋に、よく卵を買いに行かされました。

 風車屋のおっさんや、金魚屋(冬は、たこ焼き屋)のおばさん、紙芝居屋のおじさん、竹笛や、わらび餅(なぜか、みそこんにゃくも)も、売りに来ていました。ただ、なんと言っても、我々の恐怖は、「ナイフのおっさん」です。

 そのおっさんが、ナイフを持っていたという噂は、子供中に伝わっていて、「ナイフのおっさんじゃ!!」という一言で、蜘蛛の子を散らすように、子ども達は、公園から一斉に逃げ去りました。
 私も二階の窓から、ナイフのおっさんが通り過ぎるのをこわごわと見ていた記憶があります。

 確かにひげを生やしていてヒグマのようなイメージがありますが、今から思うといたって小柄な人だったように思います。

 「遊び山の上で、○○○○を出す変なおじさんがいた!」などという噂は、子供心に恐怖を呼びましたが、かえって昼間までも人が少ない今の公園の方が、子ども達には、怖いかもしれません。

 記憶の中の登場人物に、意外に大人がいます。少なくとも、今から思うと地域に守られていたのだなと感じます。

 なによりも、子ども達は、間近で、働く大人達の姿をいつも見ていたのです。



 大人と言えば、釣りや麻雀に興じていた当時の亡父は、まっすぐに家に帰るような人ではなく、家の並びに、「キャバレー月世界」までありましたが、飲み屋が多い近所で、行きつけのスタンドやお好み焼き屋に父を呼びに行った記憶があります。ただ、ママさんに焼き芋などを貰って居座り、全く役に立たないお使いをしていたようにも思います。

 今から思うと、あの頃の父は、今の私よりも、ずいぶん若かったのです。遊ぶわなぁ・・・。


 なにか走馬燈のように思い出が駆けめぐりました。



 ところで、先の大戦の空襲で、焼夷弾の熱さで亡くなった多くの方が飛び込んだ水田の大用水路の西川。川べりで、黒いチョウトンボを採っていた私に、祖母が、「死んだ人の生まれ変わりじゃから採ったらいけん」と言ったのを思い出します。
 (あぁ、お婆ちゃん、その西川で、ネズミ取りにかかったネズミを溺死させ、しかも流すのが、どれだけ嫌な役だったか!!)

 それでも、錦鯉が多くいて水嵩が増した西川でなく、まだ下が砂地で、魚を追っかけながら今の桃太郎大通りの下をくぐることができた西川の方が、子ども達には大切な遊び場でした。大人達は、それを楽しげに眺めていました。
 眺めるだけの川に、なんの楽しみがあるでしょう。生活があるでしょう。

 あぁ、あの西川に、ゴムボートを浮かべて、桃太郎大通りの下をくぐりたい!PTAで、やれねぇかぁなぁ・・・・。

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