2006年12月31日(日)
【1年間のご愛顧誠にありがとうございました。】

 いよいよ今年も暮れていきます。今年一年本当にお世話になりまして誠にありがとうございました。
 連日連夜の「佐藤真治のこころ」に、お付き合い頂きまして誠にありがとうございました。おかげさまで、今年は、2103号から始まり、360号を重ねることができました。


 昨夜は、子どもの発熱で、市民病院の夜間外来に連れて行った後、他の消防団の夜警激励に6箇所まわり、午前0時過ぎて、故郷の分団に戻り、わいわいと結局午前2時30分。結局、楽しんでいた部分もあり、疲れが残らない長い一日でした。

 陣中見舞いでは、活性化プロジェクトチームの一員として、意見を伺うということを必ずいたしましたが、最初は四方山話でも、税金や年金の使い方、はては、世界情勢、国家戦略についてまで、話は及び、突き詰めれば、要するに、政治不信の声を多く伺いました。消防は、本音が飛ぶので、ある意味、実に気持ちが良いです。

 その中で、県議会議員ってなんだろう?根っこの部分は、消防団と同じ、地域を愛する思いがあるはずなのに、地方議員が庶民感覚から大きく外れてしまい、かくも、怪しく見えてしまうのは、なんなのかなぁ?と思わずにはおられませんでした。

 消防団員は、自己都合に関わりなく出動する非常勤の公務員で、いわゆる一般的なボランティア活動とは異なる責任を持っていますが、弱きを助け強きをくじく、金や名誉のためでないはない、そんな消防団員の心意気、ストレートさがない、政治、議員というのは、やはり分かり難いです。



 ぐるり周囲を見渡しても、日本を取り巻く環境が、年々悪化しています。
 北朝鮮の核武装も、フセインが死刑になることも、教育基本法の改正も、防衛省昇格も、極端な財政赤字の中、人口減少格差社会の日本が進んで行く方向を規定する同根の現象のようにすら思えます。確かに、大義や理屈はさておいて、エネルギー問題や食糧問題を考えれば、あるいは、国益という言葉を使えば、日本の選択肢がさしてあるようには、私は思えません。

 しかし、そうしたある種の危うさを祖国日本は持っている中で、単純に、我々がそうであったように、自分の子ども達に、さらに心豊かに育つように、自国の繁栄を維持しながら、しかし、戦争も内乱もない、という、世界的に見れば希有な時代を引き渡さなくてはいけません。

 むしろ、四季がある国の中での宗教観、あるいは、死生感を背景にした環境や平和への思いを持った人材をもっともっと世界に貢献できるよう、排出しないといけません。

 しかも、障害がある方、高齢者はじめ、少し弱い立場にある方々をしっかりと支えなくてはいけませんし、若者に雇用確保を図りながら、しっかりと夢が実現できると確信できる社会にしないといけません。

 ある意味で、ローマ帝国の興亡ではありませんが、爆発的な進歩が望めない状況になって、こんなに難しい時代はないのではないでしょうか。
 その中で、政治の采配で、世の中いかようにでも変わりますよという、国家存亡の危機です。議員の質が今ほど、問われている時代はありません。



 時には、危機を煽るようにしながら、現実の中で、体制に寄り添い、つまりは自己保身以上の何者か、あるいは、権力者にでも、我々議員がなろうとすれば、真の民主主義は崩壊し、子ども達から笑顔が消えることでしょう。「どっちを向いて仕事をするのか。」

 絵空事のおセンチと笑われようとも、要するに、誰もが笑顔で暮らすことができるという、政治のロマンを我々議員は忘れてはいけないのです。
 経済的効率が高いから、強いから、多いから、だから正義であるという理屈だけで政治は行えません。

 いわんや、大きかろうと小さかろうと、要は、コップの中での権謀術数や避難中傷合戦に明け暮れている時間的余裕などあるはずがありません。

 選挙に勝たなければ事は進みませんが、手段のためには、目的を選ばないようでは困ります。なにか、年齢や経歴に関係なく、個人的自己実現型の権威主義的な「怖い」体質の議員が、増えているように少し感じています・・・「貴方は、いったい誰の味方なの?」。



 今年も、決して惰性に流されないように、形の上では、ほぼ毎日の「こころ」の配信と4回の一般質問は、行えましたが、やはり、ぐっと前進したぞ、という手応えが掴めていません。

 むしろ、毎年毎年応用問題が増えてきて、難しくなって行くような感じです。問題は、増えこそすれ、絶対に減りはしません。知れば知るほどわからなくなり、逆に、決して自分に満足することはないでしょう。

 しかし、何事があろうとも、にっこり笑って受けて立つ、そういう覚悟は決めます。「期待から実現」へと、岡山県政の中枢で動いていますと胸を張って言えなくてはいけない時代が近づいていると、勝手に認識もしています。

 ただそうは言っても、だからこそ、常に原点回帰ができるよう、来年以降も、相変わらず、たんたんと飄々と、そこにあるのが当たり前のように、「佐藤真治のこころ」を続けて参ります。

 おそらく、残念ながら、内容等に、劇的な変化は全く望めませんが、どうか引き続きの御指導ご鞭撻を賜わりますよう心よりお願い申し上げます。


 ともあれ、重ねて、今年1年間本当にお世話になりまして誠にありがとうございました。どうか良い年をお迎えになられますよう心よりお祈り申し上ます。

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