2006年8月7日(月) 【車の両輪とは】

 昨日の総踊り、特に、うらじゃ音頭は、たいへんな盛り上がりで、警備をしながらも、黄色いコーンを広げて、どんどん観客を引き込み、踊りの輪が広がって行くのが、非常におもしろかったです。いわゆる予測不能な体験という、本来の意味でのイベントになりました。来年もきっと、参加者が増えることでしょう!
 しかし、一日だけのスタッフなのに・・・いまだに疲れがとれず・・・。


 午後に、ある業界の方々と、要望書提出のやりとり。私自身が、最終的な決断ができない議員という立場に、もどかしさを覚えながらも、しかし、市民・県民の皆さんの現状を優秀な行政各位には、肌で理解して欲しいから、動きます。

 例えば、飛び込み営業マンの気持ちが、なにか根本的に分かっておられないのではないか。中小企業の経営者が、若い行政マンの発言に、プライドをずたずたにされても、何も言えないということもあるのです。

 行政が感じている以上に、市民・県民は、職員の方々に距離を感じておられるのを最近痛感することが、多いです。

 同時に、私自身の立ち位置が、行政の代弁者や説明者にならないように、肝に銘じます。文字通り、どっちを向いて仕事するんなら?ということです。



 長野田中知事の6年間は、長野県民にとって、全てが全て悲劇だったのかどうか分かりませんが、議会と行政は、よく「車の両輪」に例えられ、間違いなく、長野県という車は、迷走しました。

 この「車の両輪」という言葉をある先輩議員は、「要するに、お互いの立場は、どこまで行っても平行で、絶対に交わらんということじゃ。」とおっしゃられました。つまりは、近寄りすぎでも、離れすぎても、車は動かなくなるのです。

 議会は、執行部に引っ張られて、ついていくわけでも、また、逆でもありません。また、人間的に、好きとか嫌いとかいう、レベルではありません。お互いに、「認める」ことができるかどうかです。

 時として、その近さが、なにがしかの強さと勘違いする方もおられますが、適度な緊張関係がなければ、結局は、絶対少数の絶対幸福を追求することになってしまいます。逆に、批判を繰り返し、背を向けたところで、決して前には進みません。

 あるいは、議員同士が仲良しごっこをすれば、それは、役得の共犯者を互いに見過ごすだけで、決して有権者のためになりません。

 いわんや、自己実現こそが先に立ち、選ばれた特殊な人間のごとく議員が傲慢になれば、全く市民・県民から乖離した「お上」による政治が、行われることになります。

 本当に、これが議員の仕事っぷりなのか?



 本来は、結果として、議員は、蝙蝠のようになり、やればやるほど疎外感を覚えることも多いのですが、文字通り人生の塩梅といったものを覚えながら、そうは言っても、自分でないとできないことを探してやり続けることに、密かな誇りと幸せを見出せば良いのだと思います。

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