2006年7月8日(土) 【父子関係】

 七夕に、例の二人は、会えたのでしょうか?

 ある祝賀会で、心からの敬意や、ご家族への羨ましさを感じる一方で、なにか偉くも何ともなかった亡父のことをどこか懐かしく思い出しました。

 亡父は、地味でも平凡でもないですが、かといって、派手でも非凡でもなく、きっと世の中のお役にも立っていませんし、おそらく見事になんの賞も貰っていないと思いますし、面倒くさいのもあり、多分なにかの役職もなかったと思いますが、それなりに本人は楽しかったのでしょう。あれはあれで良いのではないでしょうか。

 なにより、息子に、そう思わせるだけでも、うちの親父は、本当にたいしたもんだ。時々どうでも良いような所作に、あ、なんか今の親父みたいだったなぁ、と自分で思うときがあります。


 夕刻から行事が重なり、京山地区ESD推進協議会の設立総会に、タッチアンドゴー。倉敷に飛び、勉強会に、これまたタッチアンドゴー、まさに弁当持ち逃げ状態。しかもバイパスで弁当を食べながら、私の出生の地、野田屋町の町内のお祭りに戻り、洗剤を当てて、三野公園の下をトンネルで抜ける県道の地元説明会へ。
 所管が、国だろうが県だろうが市だろうが、地域住民にあるのは、「道」です。県・市一体で進めるべき大きな課題を町内会から頂戴しました。それにしても、職員の方もたいへんです。

 そこから、中心部の連合町内会長有志の方と四方山話に。

 道すがら、街を行く若い衆を見ながら、羨ましというより、かかってこんかい!という、気分になりました。どっちが、わやか、で。
 それにしても、亡父は、そういう若者云々は、話のネタにしていなかったと思いますが、多分、本人が、わやだったからでしょう。そういう意味では、私は楽をしているかも・・・。確かに、ある意味、立派な人でした。

 奈良の放火事件を思うにつけ、父子関係は、難しいです。それを越えて、やっと男は、大人の男になるのですね。
 まだ5歳の我が息子は、素っ裸で踊っていますが・・・・。

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