2005年4月28日(木) 【児童養護施設にて】

 夕刻には、ある児童養護施設を訪ねました。児童福祉法第41条によれば、「児童擁護施設は、乳児を除いて、保護者の無い児童、虐待されている児童、その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて自立を支援することを目的」としています。

 県内に12、市内に5つ、こういった施設がありますが、児童減にもかかわらず、入園児童は定員一杯、さらに、増え続けています。そして、保護者が、全く欠けるという児童は、ほとんどいません。母子家庭で、育児放棄の児童も少なくありません。


 端的に言えば、子供には何の罪もなく、その親から愛されなかった親に、愛されないという、連鎖の中にいます。

 正直なところ、構造的な問題で、誰を救えば、子供達が救われるのか、連鎖をどこで断ちきるのか、行政が社会が実際に何ができるのかというと頭を抱えてしまいます。要するに、誰もが欲しいのが愛なのです。
 どうしたら、人は愛されるのでしょうか?

 しかし、本当に愛されないと人を愛せない、そして、まずは、親の愛が必要なわけですが、誰も親の代わりにはなれないのです。
 親に愛された実感がなければ、代償の愛を求めて、孤独の渕に落ちていきます。唯一の救いは、本当に他人を愛することなのですが、まるで、親のように誰かから愛されること、認められることを求めるばかりに、かえって、善意ある多くの人を傷つけてしまいます。気がつけば、人は離れていきます。
 もはや、親の愛を求めていても、愛されないのかもしれません。

 自分を愛していない人間に、他人は愛せませんが、まず自分以外のものをしっかり愛することから始めないと、孤独の循環から、抜け出せないのだと思います。
 まずは、自分から誰かを何かを愛さないと、認めないと、赦さないと。

 大切なのは、「共感」と「赦し」なのだと思います。本当は愛されていなかったのではないか?と、思える親だったとしても、「共感」と「赦し」があれば、「子供を愛さない親なんていない」のだと、誰もが確信が持てる、そう信じていたいものです。
 そう信じられたら、自分が、親になれるのではないかな。


 時には、公立幼稚園でハム太郎のように元気に走り回る我が子と重ねながら、児童養護施設と関わっていきます。

Copyright (c) 2005 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp