2005年4月19日(火) 【恩師は生涯恩師】

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 午前中から3時間近く、県・市の担当の方々と協議。近々に地域を巻き込んだ大計画(?)を発表させて頂きます。
 夕刻から、公立学校共済組合岡山支部、岡山県教育職員互助組合主催の「永年勤続教職員慰労感謝の会」に、議長代理の文教委員長として出席させて頂きました。今年、退職される方が469名で、6割近くの方のご出席でした。
 「議長代理としては、いささか年齢が足りませんが、教え子の代表として」と、祝辞を代読させて頂いたのですが、なんと高校時代の恩師が、本当にお二人おられ、極めて出来の悪い生徒が、「お疲れ様でした〜」と、お酌させて頂けたのは、実に嬉しゅうございました。私にとっての恩師は、これからもずっと恩師で、私は、ずっと教え子であり続けます。
 「彼は私の教え子でね〜」と、どこかで先生に言って頂けたら、あの頃の私の様々な失礼も、帳消しになるかしら?
 竜馬なら、「エヘン」と書くでしょう。
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 知事の挨拶にもありましたが、「政治家と違い、先生は、生涯先生」です。
 野村監督が、「金を残すのは下、名を残すのは中、人を残すのが上」と言われましたが、多くの教え子が残る教師という仕事が、つくづく羨ましくあります。
 やはり、特に、子供が産めない男は、魂の部分を残したいものです。


 生涯二度と就任することがない県議会文教委員長の任期も、あと1ヶ月を切りました。慰霊祭もそうですが、知らなかったこともたくさん経験させて頂きました。
 実に多くの事件やエピソードが「こころ」にも残っています。

 もっとも、若造が、1年かじったところで、理解できるほど教育行政は単純なものではありません。
 あるいは目立った仕事は、国体の壮行式の「ガンバローコール」だけだったかもしれません。(後任は、声を張り上げてくれるかしら?)
 請願・陳情についても、「救う」ことができなかったことについて、改めて、今日、高教祖や県教祖の方に、お詫びもしました。

 成果が出なったかもしれないし、評価も分かりませんが、文教委員長として、「思い」を込めて、1年間頑張ったんだということは、しっかりと言えます。今後必ず生きてくる経験です。
 常任委員長としての足らずは、本会議場で、返して参ります。
 むしろ、これからなのです。


 議員というものは、何か、どこにも属していないんじゃないか、というような疎外感にも、ふと襲われますが、やらなくてはいけないことが、五万とあります。
 そして、我々に終わりはありません。

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