2005年3月17日(木) 【みんな中学生だった】 | ||
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本日は、岡山中央中学校卒業式に出席させて頂きました。昨年は忌中と重なり失礼致しましたが、中学校の卒業式は、本当に考えさせられます。 だいたい、人間というものは、後の人生を規定する基本的な考え方の7割や思考パターンは、思春期の中学生時代で出来るのではないかと、私は思いますが、まさに、大嫌いな「大人というもの」に逆らいつつ、しかし、何かに憧れて、そのギャップに打ちのめされて、己は何者かを思い知らされる強烈な時期です。初恋(失恋)と友情(ケンカ)と希望(失望)の日々・・・(『スタンド・バイ・ミー』)。 それにしても、この度の公立高校の自己推薦入試は、やはり、どうも大きな問題を残しているようです。 ======================================= ↓ 詳しくは 今日卒業した子ども達の何人かは、小学生の頃から見ています。中には、日々重くなる障害を持つ生徒もいて、多分、その美しい女生徒の姿に、勇気づけられ、頑張ってきた者も、多いのではないかと思います。私もそうかもしれません。 あと、25年経ち、彼らが、今の私と同じ年になったら、65歳の私は、40歳の彼らに、全てを委ねようと思います。そのぐらい年の差があります。 一方で、彼らが、発する「希望」という言葉に、緊張感も覚えます。十分それに応えてやる事が出来る社会であるかどうか・・・。 それにしても、中学生は、おもしろいです。 男子は、少なくとも、見ていてかわいいと言える時期は過ぎ、我が子も、今年から幼稚園ですが、私がそうであったように、この時期になれば、親父と口もきかんだろうなぁ、と、いろいろ重ねたり、想像しながら、頼もしく見ておりました。 中3の頃を思い出し、なんで東大やキャリアを敵視するか、なんでどちらかというと不器用な生き方をする人間が好きなのか、なんで「家族」を強調したがるのか、というと、あの頃に、全て理由がある事に気づきます。 多分、『市民ケーン』の『薔薇のつぼみ』は、あの時代にある事でしょう。 先生や保護者のご労苦も思いました。本当にたいへんだと思います。とりあえず、ここまで、本当にお疲れ様でした! 公務の中でも、先生ほど、公の仕事はありません。人間を作るのですから。そういえば、高校時代は、先生になりたいと思っていた時期もありましたし、生まれ変わったらそうします。 保護者としての我が家も、この度、苦節3年、やっと念願のビデオを購入できましたが、中学生になったら赤面するような彼の恥ずかしい姿を今のうちに、残しておいてやろうと思います。 我が家も、これから、様々な事件が起きる事でしょう。 それにしても、今回の自己推薦入試は、その後、一般入試の僅か2日半の出願期間も含めて、生徒達に、受験に関して、必要以上の緊張感あるいはダメージを与えてしまっているようです。 今回の調査が始まっており、それをもとに、委員会でも十分議論が必要なところです。 《「こころ」に残る市井のあの言葉(校長先生の式辞で引用)》 一隻の船は東へ、もう一隻は西へ行く。 同じ風を受けて。 進路を決めるのは風ではない。 帆の向きである。 (エラ・ウィーラー・ウィルコックス アメリカの詩人) | ||
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