2005年2月13日(日) 【性教育について】

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 本日は、ある会で、性教育についての話。私は、男女共同参画社会といわゆるジェンダーフリー思想と過激な性教育が、論理必然的な連関があるとは思っていません。
 意図的に、社会の根幹である家庭を破壊するために、これらを繋げるならば、男女共同参画社会自体が、結局は、実現不能になってしまいます。
 気の毒なのは、男性は、仕事ができれば、多少その他に問題があっても、良しとされるのに対して、女性は、仕事以前に、妻として、母としてどうなのよ、と言われるような風潮すらあり、しかも、そういう事を女性が言ったりして、端的には、女性の敵が女性であったりすることです。
 もっとも、私が知る元気な女性の多くは、しかし、これらを見事にこなしておられます。本当に頭が下がります。私は、ようできません。考え様によれば、母もそうでした。
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 家庭に重きを置かない「男の甲斐性」を持って、男が家長制を語ることなど難しくなっていますし、本来は、男女共同は自明の事で、いちいち推進すべきであるなどとを謳うこと自体に意味が無くなる、そんな時代になれば良いと考えます。

 「いくら偉そう言うても、もともとあいつはわしの一滴じゃ」、という凄い事を言う人を知っていますが(亡父!)、私の中では、概して、男の方がだらしない生き物だというのが原体験としてあります。やはり、誰もが、自分の体験や生い立ちに、無意識に規程されるものです。

 いわんや、我が子の誕生の際は、立ち会い出産でしたので、なにかもう、女性に勝負を挑もうということ自体が、おこがましいことと思いますし、いつか子供には、その時の状況をしっかりと伝えたく思います。

 私は、結婚式でスピーチを頼まれたら、大概が、新郎には、「男子たるもの、自分が愛した女性です、誇りと自信と自覚を持って、しっかりと新婦の尻に敷かれて下さい。」、新婦には、「男は、メダカのように弱い生き物です。たとえ日本全国1億2000万人を敵に回そうとも、どんなことがあろうとも、最後の最後まで、新郎の味方でいて下さい。」と言うようにしています。



 さて、性教育については、@ 一義的に誰が、いつ、どういう形で行うべきものなのか? A 生物学的な生殖を科学的に教えるのではなく、その前提として、人の存在・命そのものの価値や意義、魂や愛の本質といった、ある意味宗教的な裏打ちが必要なのではないか? B 気力・体力・知力について、全てが低下傾向にある中、実際は、社会に2つの山ができつつあり、学力的あるいは経済的な状況が、性の暴走に拍車をかけていないか?特に、親の世代の暴走が、子供に悪循環を与えていないか?暴力が連鎖するように。
 と、いう疑問を感じています。

 何か根本的な所を性教育は触れていないのではないかしら。

 少なくとも、避妊の仕方を学校で教えて頂く必要はございません、と言える親でありたいと思います。
 また、保護者同士が、先生に任せず、真剣に議論すべきテーマだと思います。

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