2005年1月8日(土) 【政治家の挨拶について】 | ||
この時期は、国会議員や首長はじめ、多くの方々の挨拶を伺うことになりますが、いわば寄席で、語芸を見るようで大変に参考になります。
もちろん、乾杯の挨拶も含みます。 大いなる自省を込めて挨拶論。 私が思うところの、政治関係者の良い挨拶の基本ですが、立場がどうであれ、@そこにいらっしゃる方々が、どういう方々か、Aその方々が何を求めているか(求めていないか、)Bそのために何をすべきか(すべきでないか)を認識した挨拶でないといけない、ということです。 ゆえに、短く切り上げる場面も、当然あっても良いということです。ただ、長すぎても、短すぎてもいけないのだと思います。 表現の仕方は、持ち味ということだと思います。品格なら、逢沢副大臣、迫力なら、片山参議院自民党幹事長ですが、まず、どちらのご挨拶も分かり易いというのがポイントです。 「政治は、言葉だ」というのは、逢沢副大臣が良くおっしゃられることです。 その判断を誤ると、「外す」ことになります。あるいは、「食う」ことになります。さらに、全て分かって大袈裟にやれば、下品にもなります。 しかし、挨拶が続けば、強烈な印象も残さねばならず、その匙加減が実に難しく、私は、政治関係者の「挨拶」というのは、喧嘩の一種だと思います。 街頭演説が白兵戦・野試合なら、箱の中は、公式試合です。 敢えて言えば、乾杯の挨拶に、私は、門木先生の凄さを見ていました。間、つかみの言葉、泣かせ笑わせ、強烈な印象を残し、しかし、さっと消える。挨拶の後に、フロアにざわっと残る感じは、「うまいね〜」という余韻。名人芸でした。 要するに、場を読み切っておられた政治家としての嗅覚・感性の鋭さに基づくものだと思います。そこから出る言葉は、響きます。 実は、政治関係者が、挨拶で発する言葉のみならず、言葉それ自体が、政治そのものです。 それを思うと多分、何よりも、完成に時間がかかる、要は、様々な場を踏むしかない、だから、もう少し勘弁して下さい、ということが言いたいわけです。 私も、多弁にして寡黙になり、言葉の速度が遅くなる時期が来るように思います。「昔は、あいつは、早口でなぁ・・・」、と言われる時期が来るでしょう。その頃には、だいぶ摺れているかも。 志ん生も、志ん朝も、若い頃は、早かったです。 | ||
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