2005年1月6日(木) 【県議会の巨星】

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 10期約40年間、岡山県政、岡山県議会の中枢にあられた門木先生が、ご逝去されました。そのご功績やお人柄について、私が、なにか申し上げるのも、おこがましいものがあります。岡山県は、偉大な政治家を失いました。
 今夕、温厚な笑顔のご遺影に、ただただ涙しかありませんでした。少し冬の冷たい雨が落ちています。合掌。
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 門木和郎先生がご逝去されたのは、本当にショックなことで、方々で新年のお慶びを申し上げるような気持ちには、程遠いものがあります。

 私にとって、政治の師は、言うまでもなく、逢沢外務副大臣、そして、門木和郎先生であり、お二人がおられなければ、今現在、私が、議員バッチを付けていることは、絶対にありません。生涯かけても返しきれないような御恩があります。

 同じ時期に、ご指導を頂きながら議員として活動させて頂き、選挙の際には、大きな胸をお借りできたこと、それはまさに僥倖です。


 様々なエピソードがありますが、それらは全て門木先生のスケールの大きさや、言わば今太閤のような「人たらし」を物語るような話や、文化人、風流人としての一面であったりします。いつも飄々と穏かに話しをされました。

 何よりも、偉大な政治家が、まとめ役として、どのタイミングで、どんな話をされるのか、私は、いつもワクワクして見ていました。それは、小学生がプロ野球の選手を見るような趣で。

 派閥としては、しばしば津島のお宅に集まりましたが、個人的に足守のお宅にお邪魔させて頂いたのは、一度だけです。ただ、その時のご家庭の暖かい雰囲気が忘れられません。


 あるいは、門木先生の晩年にあたるのかもしれませんが、先生の思い出には、私にとって穏かな気持ちになることばかりで、その時代に咲いた大輪の花として、大きな目標であり、憧憬でありました。

 門木先生の前に、門木先生なく、門木先生の後に、門木先生はありません。まさに、岡山県議会の巨星です。


 多分、これからしばしば、県議会は、「こんな時に、門木先生がおられたら・・・・」という場面に、出くわすことになるでしょう。「人の値打ちと煙草の味は、煙になって分かるもの」と言いますが、余人を持って絶対に変えられない、その偉大さを何度も何度も、思い知らされることになります。
 どれだけ、甘えて頼りきっていたのか・・。


 様々なことに思いを馳せると、ただただ頭が痛いです。が、残されたものが、受けて立たねばなりません。

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