2004年3月2日(火) 【卒業】 | ||
昨日・今日と本会議は、休会。
それでも、電話とメールで、一般質問原稿について、財政課とのやり取りが続きます。 実際の攻防は、ここで、正直、非常におもしろい時期です。 今日は朝起き会に出席した後に、母校岡山一宮高校の卒業式に来賓として出席させて頂きました。 市内の県立普通科5校で一番若い学校ですが、我々一期生が、今年40歳になる、少しずつ歴史が刻まれています。 「ラストサムライ」に出演した国際俳優も、誕生しましたし・・。 私は、補習科も一期生なので、都合4年も通った学び舎で、自分の子供ほど年の離れた22期生を頼もしく送らさせて頂きました。我が子のことも、思いながら。 ただ、進学する生徒の中には、入試の結果がわからなかったり、まだ本番も残っているという状態も多いと思いますが。 卒業前の私の17歳は、ともかく18歳未満立ち入り禁止のところに行くことを夢に、奉還町の懐かしい「第二ニシキ館」に、胸をときめかせていました。 はっきり言えるのは、決して優秀な生徒ではなかったということです。 卒業式では、いったい誰が答辞を読んだのかも思い出せません。忘れようにも思い出せず、ただ、流れていた「レット・イット・ビー」が、「なるようになれ、人生どうでもええがな」といった調子に、聞こえていたのを思い出します。 卒業式の夜、我が家に集まって、焼き肉を食べ、朝まで、友達と騒いでいた記憶もあり、ろくでもない写真が、多数残っています。 だいたいが、この時点で、浪人が既に決まっていたのです。 そうは言っても、ありがたいことに高校時代の登場人物は、現在も、頻繁に登場してくれているし、妻からして、高校の同級生ですから、懐かしいなぁ、という感じにはなりません。 あるいは、昔より縁が深まることすら多いのです。 なにより、受験というのは、相互不信、自己不信に陥る格好の試練であり、いつもどこかで何かが引っかかっていた、熱く燃えた悔いのない、ただただ懐かしい青春時代だったかと言われたら、決してそうではありません。 戻りたいかと言われれば、考えるかもしれません。 順風満帆に見えても、誰もが、もがいていたように思います。 いろんな青春があっても、はっきりしているのは、「青春時代の真ん中は、道に迷っているばかり」ということです。 おそらく、今日卒業した後輩達も。 2期目の2年目は、文教委員会への所属を希望します。 | ||
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