2004年2月11日(水・建国記念の日) | ||
【晋作とみすゞ】 | ||
今朝は、ほとんど徹夜で、朝起き会に出席後、子供も親に預けて、夫婦で初めて日帰りのバスツアーなるものに行く予定が、慣れないことをしようとしたからか、妻が風邪を引いたので欠席ということで、それでも二人分のキャンセル料がもったいないという理由で、朝7時から、のこのこと一人で、団体客に紛れました。
よくわからないことになりましたが、まぁ、こういう日もございます。 午前7時に出て、午後9時45分に戻るという、まさに高速網が発達したことで可能になった日程であり、中四国州なら、州都岡山から萩まで、4時間。 ・・やっぱり遠い・・・。 そもそも、建国記念の日に、私は、萩で、松陰神社に行けて、妻は、長門市仙崎にある開館1年経たない「金子みすゞ記念館」にも行けて、昼食はオニオコゼで、8000円台なら良いんじゃないかなぁ、ということでしたが、一人でも、なかなかおつなものでした。 特に、維新の故郷・萩は、学生時代以来で、久々に、松陰や晋作に、血がたぎる思いでした。 紀元節との関係で言えば、今日行けたのは、とどけおかまし大和魂でした・・? なにより、渚百選にも選ばれた青海島でも有名な仙崎は、まさに、幻の童謡詩人と言われる「金子みすゞ」を通した街づくりをしようということで、街のそこら中に、みすゞの詩が掲げられていて、これから人気スポットになるだろうなぁ、という感じがしました。 正直こうなっているとは、よく知りませんでした。 ただ、個人的には、金子みすゞと言えば、安直に、「みんなちがって、みんないい」というイメージだったのですが、童謡集なぞ読んでみますと、26歳で自ら命を絶ったこの詩人は、巷間言われるような、思いやりや優しさ、あるいは、温かさだけの人ではないなぁ、とも、感じました。 お馴染みの、私の勝手な解釈ですが。 「私と小鳥と鈴と」すらも、「飛べる小鳥は私のように地面を早くは走れない」「あの鳴る鈴は私のようにたくさんな唄は知らないよ」・・強烈な自我を感じます。 実は、そういう詩が多いのです。 少なくとも、本質は、癒し系でも、弱い人でもない、特に、私が個人的には、どうしてもなぜか好きになれない「世界にひとつだけの花」の歌詞とは違うように思います。 彼女は人生の孤独から逃げていない。開き直ってもいない。 あの時代、この一人の女性が、放つ言葉には、幽閉されている吉田松陰がもがいているような、何か強い強いものがあります。敢えて言えば、松陰、晋作と同じ、燃焼系、「火」のグループの人? 私には、逆境の中での彼女のその死の選択すら、誇りをかけた前向きなものではなかったかと、非常に興味深いです。 おもしろきこともなき世が、おもしろいなぁ・・・・・。 疲労困ぱいですが、実におもしろい一日でした。 | ||
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