2003年8月16日(土) 【命について】

 本日は、毎年恒例の「海軍いかり会」の終戦記念の日の集い。
 毎年、護国神社参拝の翌日という日程になります。
 (その953ほぼ再掲)

 青春時代に、常に生死の境にあり、ニッポンという国、愛する人のために戦い、多くの「戦友」を失い、戦後復興から高度成長期、成熟期と、ニッポンをここまで引っ張ってこられた方々の人生の迫力といったものは、そこにいらっしゃること自体、「命の重さ」を突きつけられるようで、圧倒されます。

 それにしても、真横に死があるから、日々少しずつ死に近づくから、今、生きている輝きがあるのでしょうが、なぜか、人は、自分だけは死なない、と思って生きているようです。
 多分、死から遠いほど人間は平和なのでしょう。けれど、平和過ぎると死の意味さえも忘れてしまう・・・・。だから、生きる意味が分からない。
 やはり、平和は、能動的に造っていくものだと思います。

 護国神社は、昨夜から、萬燈みたま祭で、御霊を迎えるように提灯が並んでいます。夜に境内に続く、ほのかな光の列は、なんとも、厳なもので、御霊が降り立つ道筋なのだなぁ、というのがわかります。

 お盆の意味も、盆踊りの意味も、なんとなくわかる気がします。今日は、そこで、市連合婦人会の盆踊りが行われます。


 あの世とこの世が近づく時期に、「命」に寄り添うような気持ちを持っていたいように思います。

 照り付ける太陽に、蝉時雨、むせ返るような暑さに、命が湧き上がるようなこの時期に、一方で、花火のあとのような切なさで、秋の気配も感じている、日本人は、生・死に対して、「命」に対して、きっと、もっと謙虚ではなかったのかなぁ・・・。

 そこに日本人の美しさがあったのではないか、などと、しみじみ考えながら、夏が少しずつ終わっていきます。

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【お化けはきっといる・あの世はきっとある】

 午前中は、檀家である妙林寺さんにお参りして、とぼけた時期に、墓参り、海軍いかり会。勢いを駆って、岡山県立博物館平成15年特別展「他界への招待ーお化けはきっといる・あの世はきっとあるー」に。最近、あの世とやらに、たいへんな興味を持っています。


 それにしても、県立博物館も、施設の老朽化が進み、本当に厳しい予算の中で、自主企画をするのもなかなかたいへんだと思いますが、派手さはないものの、まさに汗をかいて県内の資料・史料を収集されたのが伝わる、非常に良い展示会になっています。

 本日は、岡山民俗会の立石憲利先生の妖怪の昔話があり、展示室が囲炉裏端のような雰囲気に。まさに、語り芸の世界。
 上方落語の大ネタ「地獄八景亡者の戯れ」のような話もあり、子ども達と一緒に、話に引き込まれてしまいました。


 特に、今回のメインは、建部町豊楽寺の「観心十界図」。要は、地獄・極楽を書いた、昔の人の世界観の図です。閻魔様がいて、なんとか地獄があって、という物ですが、おそらく、昔は、庶民にこうして、ビジュアルで説法されていたのだと思います。
 意外に、中近東や東南アジアの家には、向こうでいう、こういう物が、飾ってあるような気がします。

 さすれば、宗教はまさに、生活に根差した倫理・道徳そのものだったのだのだなぁ、と思います。

 日本人は、いつからか、「ばちが当たるよ」とか、「地獄に落ちるよ」とか、「お天道様が見ているよ」などと言わなくなって、嘘もばれなきゃ平気、自分だけが得すれば良い、自分がしたいことをしたいだけする、そんな人種に成り下がったのかもしれません。

 子供心に、嘘をついたら、閻魔様に舌を抜かれる、悪いことをしたら、無限地獄に落ちる、そういう世界観が、染み付いていて、ある種の社会規範になっている方が、無神論で物質主義に走るより、遥かに健全だと思います。

 目に見えないものに、畏怖や畏敬の念を持つことができる、だから人間なのでしょう。


 31日までですので、是非、ご家族連れで、閻魔様の前に立たれることをお勧めいたします。地獄に落ちて、鬼に臼に撞かれる自分を想像すると、悪いことはできないもんだなぁ・・。

 妖怪も、待っています。


 まだまだ続く夏祭り・・・。

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