2003年7月12日(土) 【親である覚悟】

 長崎の事件に関して、鴻池防災担当大臣の「親を市中引き回しの上、獄門打ち首」発言が、物議をかもしています。

 そう言えば、カジノに関する質問をさせて頂いたタウンミーティングで、歯に衣着せない発言が、むしろ小気味良かったように思います。しかし、言わんとすることの中に需要な指摘が、あるとも思いますが、これは、明らかに暴言の部類になると思います。


 本日、「子どもの「非行」と向き合う」という講演会・体験談があり、東京にある「「非行」と向き合う親たちの会」の方のお話を伺いました。子どもが刺青をして帰ってくるような事態は、経験したくはないのですが、今の時代、良い子・悪い子の境も曖昧で、基準すらなく、身につまされ、不安な気持ちになりました。
 他人事ではないのです。

 ただ、はっきりしておきたいのは、未成年者、特に、児童が行うから「非行」なのであって、基本的には、犯罪であるということです。
 親を求める声、社会変革を求める声、すなわち、「異議申立て」が、「非行」で、しっかりと受け止めるべきだという意見はその通りです。
 しかし、親や社会や学校には、なにかしら負い目があるのだと思いますが、犯罪は、犯罪です。

 特に、加害者も、その親も、もちろん、社会的に被害者の側面もあることも理解いたします。しかし、被害者がいることは、歴然とした事実です。

 社会が、どうあれ、親が、どうあれ、自分の怒りの矛先を他人にぶつけない人間だっているのです。事情は誰にだってあります。どうあれ、誰かを社会を傷付けいる事実には、重い責任があります。

 ですから、まず、詫びが必要です。事情についての説明は、その後です。

 ところで、行政として、子どもに付添人をつけることについては、まだしも、要望があるわけではありませんが、加害者サイドの親のケアについて、どういう支援できるのか、よくわかりません。

 加害者の親からの視点については、かなり深く悩まされると思います。


 ただ、しかし、「その子が、どうあれ受け止められる」のは、親しかいないのです。赤の他人や社会でなく、本当に、赦され、愛されたいのは、親であり、本当に、救えるのは、親しかいないのです。
 「なぜ、きちんと愛してくれなかったのか?」

 映画『ロッキー5』ではないですが、「生まれてきてくれてありがとう」と、命の存在そのものを心から喜べるのは、また、それを認めて欲しいのは親しかない、だから、私は、命を与えた親の責任は、果てしなく重いと思うのです。

 おそらく、社会的な制裁は、親の方が受けるかもしれません。親も責任があるのですから、子どもの更生でなく、親の更生も必要であると思います。

 そして、子どものしたことについて、親を赦し、受けとめてくれるものはありません。慰めてもらえても、赦しては貰えない、だから、親には、覚悟がいるのだと思います。


 果たして、親が親足り得ているでしょうか?特に、父親が、きちんと父親をやっているでしょうか?父親が、きちんと自分の子どもに向き合っているでしょうか?
 刺し違えるような覚悟を持って。

 子どもの成長は、実に遅々としたものですが、親の成長速度も、同じだと思います。2歳8ヶ月の子どもが、これからしでかすことに、ある意味、うちの子に限ってということは、ありえない、という覚悟をもって、接して行こうと思います。


 それにしても、中学校の時に、陶器屋を廃業して、ややこしげな家ではありましたし、徘徊もしていた私としては、夜間保育園で、体を張って、子どもを育て、守ってきた母親を結局は、裏切ることができなかったのだと思います。多分これからも。
 今から考えても、どこか違う方向に行っても、おかしくなかった気もします。

 ある意味、依存的なところもありましたし、今もありますが、実にたいした親だと思います。何をしようとも、常に信じてくれた、多分、受け入れたろう、その確信があったからこそ、私は、端から見れば、自由にやってこれたのだと思います。そういうところは、尊敬しています。本人には、言いませんが・・・・。


 だから、きっと、行政の「青少年の居場所」に、虫唾が走るのです。要は、こんなんじゃ、あの頃の俺は行かないよ、ということです。愛情があれば、場所の問題ではないし、なにより、本来なら、居場所は、家庭であるべきなのです。
 そういう見せ掛けの居場所が嫌なのです。

 ひとつでも、一人でも、自分を信じてくれるもの、求めてくれるものがあれば、人間は、立ち上がることができる、決して倒れない、そう思います。まず、それは、親であるべきです。

 児童虐待、DVの問題も含めて、愛情や憎悪は連鎖するのですから、どこかで、断ち切らないといけません。

 陳腐な言葉ですが、「愛が全て」と信じて。


 それでも、やはり、青天の霹靂のように、子どもが、加害者に、被害者になってしまう、世の中です。
 芥川竜之介の『河童』なら、こんな世の中に生まれてくる物好きな河童は、そうそういないかもしれません。

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