2003年5月23日(木)
【あるべき居場所づくり 「ゆう杉並」】

 本日は、1便で上京。汐留地区再開発地区再開発プロジェクト、特に、ご紹介頂いて、松下電工東京本社ビルを訪ね、IPv6の具体的な展開事例について伺いました。
 友人・知人で、ちょっとした構想を立てたいと模索しております。ゆえに、詳細は後日。


 午後からは、杉並区の「ゆう杉並(杉並区立児童青少年センター)」を訪ねました。
 これは、青少年の「居場所づくり」の先駆事例とされています。


 実は、岡山県では、知事の肝いりの青少年が県の施策について提言する「ユースチャレンジ21会議」の「人と環境にやさしい街づくり」が、「青少年による居場所づくり事業」を提言しました。
(「こころ その1078」【「居場所」 ユースチャレンジ21会議】参照。)

 しかし、県は、昨冬、ある場所に予定スペースを確保しましたが、これが、割り込みで、ある選挙事務所に使用されたことから大混乱。
 6月の立ち上げに、非常に難産の状況になっています。

 しかも、そもそも、この事業は、「居場所」というコンセプトについて、かなり曖昧なものがあり、単なるイベント・スペースとして捉えることが、本来の意図ではないはずが、なにか、ただの溜まり場を行政が作り、大人に、人寄せのイベントを仕掛けていくことを委託するような雰囲気になっています。

 正直、市町村ならまだしも、県の事業としては、無理があるような気すらしてきます。


 本日訪ねた「ゆう杉並」は、杉並区荻窪の閑静な住宅街の中に、1995年子どもの権利条約批准を背景に、騒がれていた中・高校生の居場所をつくろうということで、1997年9月に設立されました。

 また、「ゆう杉並」は、 「杉並区立児童青少年センター」 と 「男女平等推進センター」 との複合的施設です。
 ただ、駅から利便性の良い場所にあるとは言えません。

 「ゆう杉並」には、体育室、ホール、スタジオ、ミキシングルーム、鑑賞コーナー、学習室、工芸調理室、と様々な部屋があり、すべての部屋が無料。1日250人程度が利用しています。団体利用なら、夜9時まで、個人の自由利用は、7時までです。

 今日は、午後4時頃の時点で、人生ゲームやトランプ、バトミントン、バンド演奏練習をしている中高生が、50人程度いましが、これで、比較的少ない日だそうです。


 ちなみに、「ゆう杉並」は、児童館です。地域にある41の児童館と連携して、中・高校生の活動拠点を築いていく中心的役割を担っています。

 そもそも、全国に、約4300カ所ある児童館は、核家族化が進んだ昭和40年代に集中的に建設されましたが、児童福祉法に基づく「児童」の定義は、0〜18歳で、中高生が児童館の対象から除外されていたわけではありませんが、実際の利用者は、小学校低学年や園児でした。

 昭和50〜60年代には、少年の非行が社会問題化したことを受け、中高生の受け入れを視野に入れた大型児童センターが建設されましたが、開館時間が午後5時まで、職員の大半が保育士で対応不能で広がらなかったそうです。


 ところで、「ゆう杉並」は、建設にあたっては中・高校生の意見を取り入れるため、「建設中・高校生委員会」を設置し、中・高校生の意見を取り入れる形で建設の検討がなされましたが、運営も、中・高校生の意見を十分に取り入れるため、「中・高校生運営委員会」という委員会を設置し、自主企画部会と広報広聴部会の2つの部会で動いています。

 もちろん、専門の職員(ユースワーカー)が、一緒に活動する体制を作り、いくつかの深刻な経験から、「酒・タバコ・喧嘩」の3つが、厳禁されています。

 また、この24日にも予定されているようですが、「ゆう杉並」が地域との関係が深まることを目的に、近隣の住民との交流会も企画し、施設が地域になじむための努力を、中・高校生の立場から実施しています。


 本日私は、「見学」の札を下げて一人で施設内をまわらさせて頂きましたが、説明を頂いた職員の方にも確かな哲学がありました。

 翻って、岡山県の施策は、地元やNPOに、いわば丸投げです。イベントは、人寄せで、やれば良いというものではありません。そこには、確かな哲学と責任が必要です。


 もともと「居場所」とは、不登校や引きこもりの子どもと若者の支援活動の中で使われていたようですが、仮に、「居場所」を、「自分らしくいられると感じる時間・空間」と捉えるなら、問題は、「自分らしさ」とは何か、です。

 徳島大学の西村助教授の文章に、私は、全面的に賛成です。かなり長いですが、以下、引用させて頂きます。

 『最近の・・・「自分らしさ」は、他者とのせめぎあいや折り合いが、不十分のまま、あるいはそれを避けたまま、自分の閉ざされた枠組のなかでこじんまりと固定化させてしまっているものであり、悩みや苦しみを経た自己内対話から生まれてきたものではないようだ。

 本来の自分らしさとか「本当の自分」とかは、もともとあるものというより、他者や社会との相互関与によってつくられていくもので、そのなかで自己に立ち戻り、自己の多様な側面に日々気づいていく流動的なものなのではないか。

 そうだとすると、対他を避けたままの個性や「自分らしさ」の信仰は、若者たちを「自分らしさ」から遠ざける結果になりかねない。

 また、行政が意図的につくる居場所においても、今の若者のと同様の表面だけの「許しあい、わかりあい」に走るならば、それは、「自分らしさ」を信仰すればするほど「自分らしさ」を失っていく今の若者の傾向を強化することにしかならないだろう。

 これに対して、教育の介在によって対自・対他の活動を促した場合はどうなるか。行政が意図的に「つくる」べき居場所は、このような対他活動が恒常的に行われる時間・空間・仲間関係のことである。

 そこでの意図とは、承り型講義でイメージされる「教育」とは無縁のものである。「自分らしさ」を安心して出せる居場所だからこそ、自己に向かって立ち返り、その自己を他者や社会のなかで関連付けながら、再び、自己に戻って深めていくことができる。

 もちろん、そこでの対自、対他には、避けてきたときにはなかった悩みや苦しみが生じよう。しかし、それは本人にとって「意味の充満した時間」である。

 居場所を「つくる」教育的意図とは、若者たちのそういう気づきの循環を支援しようとすることである。

 行政側は、この意図に沿い、若者と出会い、一人一人の悩みや苦しみを大切に受けとめ、個人に自己内対話を促す問いを与え、ときには自明とされていることについて疑問を与え、正答のない問いをいっしょに考えることによって、若者とともに自他への気づきを深めることになる。 』

 残念ながら、現在の施策には、こういった意図は見受けられません。今からでも遅くはありません。私は、例えば、伊島町の児童会館を青少年の居場所にすることも含めて、改めて、青少年を交えた上で、時間をかけて、じっくりと進めていくことを提言させて頂きたく思います。



 本日昼には、六本木ヒルズではなく、高田馬場を降り、さかえ通りの「洋包丁」で、スタミナ焼定食を食べ、早稲田通りを歩き、母校のキャンパスを十年ぶりに抜けました。変わったけれど変わりません。集まり参じて人は変われど、仰ぐは同じき希望の光。

 拝啓 大隈講堂様。佐藤真治元気であります!ほなさいなら。

 18年前というのに、昨日のことのようです。久しぶりに、軍歌を聞きながら「資本論」を読む、某M先輩に会いたくなりました。

 たいして良いこともなかったですが、ああいう青春だったのだから仕方ありません。それでも、少し「薔薇のつぼみ」があります。

 己の青春を憎むように、大学を憎みもしながら、しかし、それ以上に、どうしようもなく愛しているわけです。

 間違いなく、私の青春の居場所でした。

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