2003年4月25日(金) 【当選と落選の間】 | ||
統一地方選挙の後半戦も、いよいよ明日が最終日。聞き慣れない名前を連呼する選挙カーを横目に、降ったりやんだりの雨の中、今回の選挙で、落選された議員のことを思いながら、霧がかかる丘を越えました。
公私にわたりご指導頂いただけに、私の議場には、ぽっかり穴があくようです。 まともな神経の持ち主なら、たとえ何期当選しようとも、この時期、選挙後に吹き出す様々な声や重圧の中で、おそらく候補者本人にしかわからない、なんとも言えない孤独感、焦燥感にもがき苦しむと思いますが、現職で落選となれば、私の想像を絶する精神状況だと思います。 ただしかし、全ては、有権者の皆様が決すること。誰も恨むわけにはいきません。 あるいは全財産を投げ出し、あるいは己の人生を賭けて、世のために良かれと思い戦っても、それは、誰かを巻き込んでする就職活動であり、ただの我が侭であると評価されたりもします。 いったい何が評価の基準になるのか、時としてわからなくもなりますが、少なくとも、運と運を呼び込む努力が必要だと思います。しかし、基本的には、自分の力ではどうしようもないような、何かの仕組みがあるようにも思います。 なによりも、どれだけ支えて頂けるか、それが全てです。 大きな帆を上げて、どれだけ支えて頂けるか、どこまで、風が吹くのか、先のことはわかりませんが、風が吹き続けることを信じ、また、そのための努力を続けます。 私は、選挙のある人生を選んだのですから。 個人的には、当選後に、華やかなバラ色の人生など一切待っていないと思いますが、一度きりの人生をいかに燃焼させるか、皆、役割を感じるから出馬するのでしょう。 天命を感じ、宿命を背負い、運命と戦い、使命を果たす、全ては、命(めい)です。私にも命があると思っています。 これからの岡山にどうしても必要な人間であると自分で思わなければ、そもそも選挙には出ません。 それにしても、選挙で、誰もが傷つかないことを祈りたいけれど、明後日には、全国で、悲しみの涙も流れます。 あぁ、尾崎豊に良い詩があります。 −僕が僕であるために− 僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで 僕は街にのまれて 少し心許しながら この冷たい街の風に 歌い続けてる | ||
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