2002年12月31日(火) | ||
【来年を勝利の年に!!県議会議員の役割】 | ||
個人的には、ちょっとピンと来ていないのですが、いよいよ年が暮れていきます。
本当に今年一年たいへんにお世話になり誠にありがとうございました。 「こころ」につきましては、視察等で出張した以外は、一部の方を除き、ほぼ毎日、計352回の発信をさせて頂きました。今年もまた、ご愛顧頂き本当にありがとうございました。 多くの皆様方にとって、昨年よりも、さらに一層厳しい年となったのではないでしょうか。 私自身にとっても、子供の成長する様に救われながらも、特に、後半は、議員という立場にありながら、明日すら見えない状況の中で、大切な方が苦しまれる様を見ながらも、手を拱いて何もできなかったのではないか、そんな無力感に打ちのめされるような、非常に辛い年でありました。 一方、政治への不信は、益々増大した年でありました。せめて、将来に対する僅かの希望の火でも点すべき政治が、庶民の暮らしとおよそかけ離れた世界で、日本を取り巻く世界情勢を無視して、自己保身のための権謀術数に明け暮れ、不安ばかりを増幅させているような現状を見るにつけ、政治が、景気回復の足を引っ張っているようにすら思います。 また、中2階の県という組織にあって、県議会は県議会で、財政再建という大命題を抱えながら、時には、県民感覚からかなりピントがずれたところで、迷走していたように思います。 私自身も、この4年近く、今日まで、15回の一般質問をして、1083回の情報発信をしたところで、それが、岡山県民にとって、岡山県政にとって、なんじゃったんなら、なにがどう変わったんなら、もっと議員として、できること、すべきことがあったのではないか、と自問自答しています。 年末夜警の陣中見舞いで、多くの方から厳しいご意見を頂きましたが、しかし、やはり、一番辛かったのは、「県」や県議会議員というものが、どこまでも、市民から遠い存在であるということです。なんともいえない疎外感です。 よく伺う話は、財政難や長老支配の弊害のようなことですが、正直に書いて、今の私にとって、他の議員の方、とりわけ大先輩方に対してどうであるというのは、関心の外にあります。 各世代でバランスよく議員が配置されておれば、しかも、同じ「権限」であるなら、議員に定年退職など必要ない、と私は、考えています。そして、もはや、私は、可能な限り、言い出すでしょう。年齢の問題ではありません。若いからといって、感性が、新しいとは、限りません。その方が、問題なのです。 なにより、大切なのは、私がなにをしたか、なにをするかです。 少なくとも、私は、NPOやIT、街づくりの話などで、他の議員から、議員活動の邪魔をされたことなど一度もありません。情報公開など、個人の議員でやろうと思えば、いくらでもできます。 要は、そういう誰かや何かの批判や批評がやりたいわけではないのです。敵失を嘲笑うかのような生産性のないことがしたいわけではありません。いわんや、政治と関係のない部分で、有権者に媚びへつらうような、結果として馬鹿にしたような、イメージ作りのイベントごっこがしたいわけでもありません。 岡山県議会にとって、議員にとって重要なのは、そういうことではありません。 私は、岡山市選出の岡山県議会議員が、今一番すべきことは、国とのケンカだと思います。地方分権の時代にあって、地方が地方として自立していくために、国から、権限と財源を奪い取ってくるということです。 つまりは、県は国から、市は県から自立せよ。そういうことです。 そして、大切なのは、あくまで、それは、もっとも市民に近い行政組織である基礎的自治体である市町村を支援するためのものだということです。 もっと言えば、それが成れば、県は、消滅すべきである、端的には、道州制に移行すべきである、と思います。 つまりは、国は、外交と防衛と大きな金融政策だけを扱い、商業、農業、具体的な教育、福祉等々、とりわけインフラ整備は、せめて道州単位で自己完結すべきで、いちいち国にお伺いを立てるものではないと思います。そして、基本は、あくまで市町村です。 私は、まずは岡山市を支援します。 少なくとも、国からの補助金を差配し、マージンをとるような中間組織であるなら、県など不要です。ましてや、そこで、議員が暗躍するなら、百害あって一利なしです。 また、一方で、国の指導に従い、一方で、実務レベルは、市町村に任せるような、「中途半端やの〜」という組織が県であるなら、いらないのです。 福祉、教育、環境、治安云々に関する金太郎飴のような美辞麗句、御託宣は幾らでも上げられますし、行政評価、情報公開も、絶対にしなくてはいけません。しかし、もはや、県という組織を護持したい、あるいは、県という枠内で考える議員など要らない時代なのではないでしょうか。 構造そのものの問題なのです。 一般質問等で、市町村に波及させるような個別具体的な施策を推進させるのはもちろん重要ですが、現在の県の構造そのものを変えないと、市町村の持続自体が不可能なのです。そのために、国とケンカをする、そのために、県を動かす、そういうスケールで、考えていきます。 その限りにおいて、市議会議員と異なる県議会議員の意味があります。県議会議員が、市町村の上に乗っかったような気分では、単に邪魔なだけの存在になってしまいます。 新しい年に、新しい尺度で、考えていきます。 今のままのやり方なら、間違いなく駄目になる、企業が生き残りを賭けて戦うように、行政も、あくまで、生き残るための戦いです。違うのは、市民・県民の生命・自由・財産を守ることこそが目的で、行政組織を残すこと自体は、目的ではないということです。 少なくとも、公務員だから、否、公務員だから、従来通りで済むという理屈は、もはや通らなくなる、「・・・だから」の・・・・が、もはや理由にならない、時代なのですから。 一生懸命やっているのは皆同じです。一生懸命だから良いではないですか、では済みません。皆、生き死にでやっているのです。手段なぞ、時代に応じて、いくら変容しても構わないのです。 私の中の「・・・だから」をまずは、疑ってかかりたいと思います。 新しい議員、県議会議員の姿をさらに体現せんがために。 奇麗事では済まない時代です。 それぞれの勝負があります。 さらに厳しい年になりそうですが、やるからには、お互いに、必ず勝ちましょう!! 来年を勝利の年に!! | ||
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