2002年9月11日(水)【9月11日に寄せて】
   ( ^^)_旦~ こぶ茶ですが・・・

 本日も、一般質問原稿執筆中です。

 戦後57年が経ちました。私は、今年、38歳でございますが、春季慰霊祭、終戦の日、秋季慰霊祭には、できる限り護国神社にお参りさせて頂き、また、東京に行けば、寄席と大隈講堂にも行きたいですが、まずは、靖国神社にお参りさせて頂きたい、そういう意識は働くのでございます。

 自民党議員としては、当然でも、同世代の感覚としては、ある意味、珍しいと言われるわけですが、祖国の礎を築いて下さった方々に、感謝の誠が捧げられない、あれこれと理屈が先に立ち、まずはそういう感覚が当然である、あるいは、その感情を発露できない、と感じられないところに、現代日本の悲劇があるように思います。


 とは言うものの、諸先輩方には、大変失礼かと存じますものの、昭和39年生まれで、高度成長期の恩恵をまともに受けて、かように丸々と太りました私には、遺族や当時戦地に行かれた方のお話を伺っても、あるいは、地域を歩き、そこに、草生した地域の慰霊塔があっても、ご高齢の方のお話を繰り返し伺っても、正直に申し上げて、実感として、わからない部分があるのです。

 また、57年前の6月29日、岡山を大空襲が襲い、私が住む、当時は、桶屋町(今は平和を祈り、平和町ですが)、も、火の海になり、私の曾祖母や祖父の兄弟も、防空壕で焼け死んだと言います。しかしながら、10年以上前に亡くなった祖父からも、先日、84歳で亡くなった祖母からも、結局、その話は、聞かず終いでした。


 そして、そのような形で、何か語り継がれることがないままに、当時の物や、当時を生きた方々や、なにより、大切な日本人の心が、消えていく、そんな気がしてならないのです。世界唯一の天下泰平の平和ボケの中で。

 日本がアメリカと戦争したことなど想像もつかない世代が、これから社会の中枢を占めていきます。私は、偏狭なナショナリズムを叫ぶ気も、昨今流行のアメリカ批判をする気はありません。しかし、アメリカ仕込みのグローバリゼーションの名のもとに、日本人の顔をした、なにやらわけのわからん他所の世界の人間が、これから益々増えていくことでしょう。

 日本人の潔さや謙虚さ、優しさや思いやり、自然と共生して、かつ、厳かに、勤勉に生きる、なにより、自分の、他人の、全ての、「命」に対して、畏敬と畏怖の念を持つ、それが、今の日本のどこにあるでしょうか。


 しかし、そんな中で、希望がないわけではありません。今回の日韓共催のワールド・カップサッカーで、多くの若者が、ニッポンを感じました。
 そもそも、今まで見向きもしなかった自国の国旗を振り、しかも、顔にペイントできる感覚、さらには、国という観点からは、ワールドカップ・サッカーという国対国のスポーツに狂乱した若者が、原爆投下や戦争を繋げて考えることはない、そのことは、私は大いに不満ではあります。

 ただ、間違いなく、世界の中における日本という視点をこのワールド・カップサッカーで、新しい日本人は構築したと思います。小泉総理の訪朝も、また違った感覚で捉えることができる、そういったワールドワイドなものの見方を誰もが、普通に身につけるようになったように思います。

 そして、1周忌を迎えましたが、昨年9月11日の爆弾テロ事件。太平の眠りを覚ます蒸気船でもありませんが、向こうがくしゃみをすれば、こちらが風をひくアメリカのこととなると、対岸の火事でなく、隣の火事であり、こういうことは起きるんだ、戦争は、ごく身近にあるんだ、という事実は、日本人、とりわけ、若い世代に、大変なショックを与えたことは間違いありません。

 そして、彼らは、戦争というものについて、平和について、我が事として、考え始めたのです。


 思うに、戦後57年、戦争が風化していく中で、世界が戦争が、再び、身近なものになっている現在、ある意味で、改めて、世界平和について考える、絶好の時期が来ていると思います。逆に、ここを外すと、時代が分断される中で、歴史を見据えることなく、国を思うことなく、再び、自ら戦争の惨禍に見舞われる道を選んでいくことになりかねないと思います。

 今、必要なのは、日本の時代と時代を繋ぐことです。今、語らねば、聞かなければ、日本が繋がりません。


 そこで、私は、「ピース・ミュージアム」の構築を提言させて頂きます。過去の出来事については、イデオロギーの対立があるのは、百も承知の上で、大切なのは、未来、明日に向かって、次の世代が、世界平和に対して、何をなすかということです。過去と未来を現在で繋げる「場」が、必要だと思うのです。


・・・・・・・あ!これ、「こころ」兼「一般質問の原稿」じゃないか???さては、長いわりには、楽をしようと・・・・。



 ところで、本日、岡山大空襲のあった6月29日に行われた「岡山こども平和の声」主催の「What's Peace−岡山の57年前と今日− 」で、高校生達が採択した「平和宣言」が、県教育長に届けられます。
 彼らが、自発的に、自ら考えた「平和宣言」です。

 結局、9月11日に、一番反応して、形にしたのは、高校生達でした。素晴らしいことです!!

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