2002年8月23日(金)【ハートフルおかやま110
課題の設定と解決としての人生】

 本日は、青少年対策・男女共同参画特別委員会の県内調査に、地元議員として合流させて頂き、岡山県青少年総合相談センター(ハートフルおかやま110)、女性相談所、中央児童相談所を訪ね、施設の調査というよりも、むしろ、実際の事例等を交えながら、相談業務の実態を伺いました。

 幾つもの事例には、本当に気が重くなり、抜本的な解決方法が、なんであるのか、非行、DV、児童虐待など、対処療法を整備するにして、なにをどう変えれば、根本的に防げるのか、見出せない苛立ちを覚えます。
 同時に、毎日が、そんな現実と直面される現場の方々に本当に頭が下がる思いが致しました。


 個人的には、「なぜ自分が生まれてきたのだろうか」ということを「根本命題」にして、「課題の設定と解決」を繰り返すことこそが、人生であり、どんな「課題」を己に課すか、あるいは、どんな「課題」が降りかかるか、それを「課題」と「設定」し、どうやって「解決」にあたるのか、それで、生き方は、変わるのだと思います。

 死ねば、亡くなった方御自身には、「課題」はなくなるというわけで、「課題」があるから、人生であり、生きている証であり、生きておれば、誰でも大なり小なり「課題」は、抱えています。逆に、「課題」がないから幸せか、というとそうでもないところが、摩訶不思議なところで、少しずつ、「課題」を克服できるから、生きている意味があるのではないかな、と思います。
 かといって、「課題」が、嬉しいはずもありませんが。
 (ちなみに、私は、あの世を信じたい者です。)


 私は、本来、およそ「先生」と呼ばれる人間は、その方が「解決」不能になった「課題」を「解決」する方向に導く人であると考えます。順風満帆な時には、およそ、「先生」など不要です。(ただ、最後は、自分の人生は自分のものです。)

 こういった「相談」業務は、「解決」の糸口を示すもので、本当の「先生」というと、こういう業務に携わる方ではないかな、と思います。逆に、「課題」を有権者に振りまいている議員を「先生」と呼ぶ理由はありません。


 県庁の仕事は、直接県民の方に接することが、案外少ないのですが、行政の最前線で、まさに、ここの県民の「問題」の解決にあたられる方々に、力の限りのエールを送り、議員として最大限バックアップさせて頂きたいと存じます。



 抽象論になってしまったので、参考までに、「岡山県青少年総合相談センター(ハートフルおかやま110)」のホームページを是非ご覧ください。
ttp://www.pref.okayama.jp/seikatsu/soudan/index2.htm
 岡山市蕃山町の岡山県開発公社ビル内にある青少年問題に関する総合相談施設です。


 頼るより頼られる、求めるより求められる、そんな強く優しい人間になりたいものです。

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