2002年6月2日(日) 【自民党合同会議】

 子ども連れで、京橋朝市を散策して、公立幼稚園統合につき、地域の方と相談、さらに、自由民主党岡山県支部連合会の合同会議、その後、笠岡に。今日も湿度の高い、むし暑い一日でした。

 このうち、自民党合同会議は、いわば、自民党県連の総会にあたります。自民党の県議会議員として、自民党の中の己の位置付けというのを否応なく知らしめられ、組織の大きさや伝統、えもいわれぬ違和感を痛感する日でもあります。

 自民党をはじめ、政治とお金にまつわる話は、枚挙に暇がなく、辟易するような状態で、ワールドカップを挟んで一休みのようにも見えますが、しかし、国債は、格下げ。
 まるで日本は、政治・経済・倫理、全てにおいて、世界の三流国にじわじわと成り下がっていくようです。

 なにもかも自民党が全て悪いのだ、といわれる由縁もないと思いますが、責任政党としての責任は重大です。

 ただ永田町がどうあれ、私が、批判しても、評論家になっても、仕方ないのです。自民党的には、私はかなり変わった議員かもしれませんが、そんな私ができること、すべきことがあります。


 統一地方選挙が近づいてきます。

 許されるならば、願わくば、自民党公認候補として、戦えればと思います。

 ただ、私の中で、もっとも大切な基準は、自民党に認められることよりも、自分が、あのまま普通の会社員であったらどう感じるか、選挙で応援して下さった方々、とりわけ、高校の同級生達ならどう感じるか、です。
(いつも私は、そこにいます。『怒りの葡萄』のヘンリー・フォンダのごとく。)

 当たり前の政治を、当たり前の人間が、当たり前にやれば良いのです。難しいことではなく、当たり前のことを当たり前にやれば良いのです。
 いつまでも、こうして違和感や疎外感を感じられる感性を大切にしたいと思います。それは、当たり前ということです。


 さて、笠岡へのJRの道中で、操車場跡地に、出来上がっていく木下大サーカスのテントをワクワクしながら見ていましたが、その横には、ドームの骨組みが、はっきりと見えてきました。
 このドームと連関する1年経つASPOが、本当に気がかりです。

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