2002年3月19日(火)【県議会議員の役割について】 | ||
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実は、来年度の統一地方選挙において、県議会議員の選挙よりも、市長選挙と市議会議員選挙が先に行われることの理由の中に、県議会議員に対する「思い」があるというのを複数の市議の先生から伺いました。 また、岡山市が政令指定都市を目指す中で、県とのある種の「上下関係」に対する「思い」もあるという雰囲気を感じます。 個人的には、全く上下関係があるとは思いませんが。 ともかく、おそらくここから出てくる議論の中には、感情的なこともかなり出てくるのだと思います。極論からいえば、岡山市選出の県議会議員とて、岡山市の政令指定都市化について、言及するな、という意見もあるのでしょう。 岡山県から離れようとしているのに、その「上級官庁(?)」側から、なにか言うこと自体「なめている」と感じられる方がおられることも、十分理解致しました。 ましてや、石井知事から、「動向を見守る」と県の立場をご答弁を頂いた以上、県議会議員としては、この件につき、言及すべきでない、という判断に達しました。よって、しばらく私自身も、推移を見守りたいと思います。 このことは、決して、その方向に否定的であるというわけではなく、ましてや、傍観者ではなく、むしろ、肯定的であるからこそ、一歩も二歩も下がります、ということです。 ======================================= こういった議論の中で、県議会議員は、本来なにをすべきなのかということですが、地方分権、地方主権の時代に、国から権限・財源を奪ってくることではないか。すなわち、国は、国防と外交のみに特化し、それ以外は、総べて地方に譲れという議論、要望をどんどんするべきだ、という、ご意見に、私は、賛成です。 昨今の政治状況のなにが根本的な問題なのか。要するに、国会議員が、あるいは、その秘書が、地方のことに、口が出せる(かまう)という仕組みです。国のこと、すなわち、国防と外交に国会議員には、専念して頂きたい。あるいは、専念して頂ける構造改革が必要です。 地方のことは、地方がやれば良いのです。そのための地方議員ではないですか。 となると、特定の個人だけではなく、この仕組み自体が悪いのです。現状でやれというのが、土台無理な話なのです。このままでは無理だから、構造改革でしょう??個人の責任のみに帰しても、根本的に解決しません。仕組みが変わらないと。 いちいち、なにもかも地方から東京に持ってあげるから、あるいは、持ってあげられるから、ややこしくなるのです。膨大なロスが生まれるのです。本当に国でないとできないことが、どれだけあるでしょうか?今や、JRやNTTも分割民営です。警察は、もともと県警です。本当に困ることは、なんでしょうか? どんどん、国は、地方に譲るべきです。できないはずはないのです。やらない、やらせない、だけです。 そのためにも、手始めに、一番無駄が多い、中間組織である都道府県の徹底的な見直しが必要です。まずは、国の多くの業務を県の段階まで持ってくることを要望し、それを市町村合併になった市まで降ろしたら、都道府県自体は消滅する。市間の調整は、道政府でも州政府でも、行うことができます。 ゆえに、県議会議員は、自滅を覚悟しながら、国に対して、地方に「よこせ」と要望を続けるのが役目です。市が県の手から離れて、政令指定都市になるように、県が、国から独立するぐらいの思いを持って。 その声が、全国で起きれば、国は、政治は、変わります。 だからこそ、県は、県議会議員は、巣の中の鳥のように母鳥からの餌を待つのではなく、この国の状況に対して、やはり、地方から向かって行かなくてはいけないのです。 そうする限りにおいてのみ、県議会議員が意味を帯びてくるのではないか、と思います(一般質問などは、当然の前提ですが)。このままでは、無用の長物どころか、存在自体が、政治改革の足かせになるかもしれません。 国は、永田町は、何をやっているんだ、と言うのならば、その次に、ならば、俺達に、地方にやらせろ、と言ったって良いのですから。任せられないなら、任すことはないのです。そのぐらい、怒って良い状況ではないでしょうか。 多分、こういう議論が、今、一番必要なのだと思います。激動期です。 ところで、時々、今もし死んだら、こんな文章がいっぱい残って、結構かわいそうな人生だったなぁ、と思います。 こんなのは、30年後には、笑って読みたいものです。 | ||
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