2002年3月2日(土)  【同窓】

 久々の(?)徒然話で申し訳ありません。
 お見苦しい点がありましたら、お許し下さい。

 議員にとってこの時期の特権とも言えるのが、卒業式や入学式に呼んで頂けるということです。特に、親になって、幼稚園や小学校のそれは、妙に涙腺が緩み、子どもが元気に歌っている姿だけでも、感動してしまいます。
 これはもう、私自身の卒業の有無ではなく、地元というと、ああ、あの方のお子さんか、と、PTAの気分になって、思いを共有したりもします。


 一方、高校はとなると、県議会議員は県立高校、とりわけ母校の式にお邪魔させて頂いている傾向があります。
 母校に錦を飾るというわけでもないですが、在校時は、ほとんど劣等生であった私のような者が、偉そうげに来賓で行って良いものか、といつも恐縮に思うのですが、同窓会の役員か議員でもなければ、母校とはいえ、なかなか出入りする機会がないのが普通でしょう。ありがたいことです。
 とりわけ、私は一期生(妻も)で、創設期を生徒として肌で感じており、かなりの思い入れがあります。

 特に、我が母校、岡山一宮高校は今年第20期生の卒業生。岡山市内5校の総合選抜が廃止され、各学校独自の選抜が行なわれた学年で、理数科は、1期生がいる学年。
 部活動では、文科系、体育会系ともに優秀な成績を残し、夏の甲子園予選大会では、初のベスト8入りと、喜ばせてくれました。
 20歳違いの後輩達。


 昨日は、偶々、同窓会入会式の挨拶のお鉢が私に回ってきたので、なにを勘違いしたか、一期生の先輩風を吹かし、劣等生の見本のようなエールを卒業生に送らさせて頂きました。本日の卒業式の式典と違い、卒業生と先生のみでした。

 実は、今日の段階で、卒業後の進路が決まっていない生徒、浪人が決まっている生徒がかなりいます。先行きが不透明な時代に、必ずしも将来の成功や平穏を約束しない受験戦争の波の中で、多くの生徒が、自分自身を模索しながら、傷ついているのではないか、と私は思っています。家庭の問題なども、敏感に感じる年代でもあります。
 と感じるのは、私自身が、そうだったから。

 もっとも、母校がどうというより、そういう人生の時代、世の中の仕組み、なのかもしれませんが、結局は、我が母校の創設の理念「フロンティア・スピリット」で、自分の人生は、自分で切り開いていくしかないのです。

 そのためには、「決して負けないこと(ノー、サレンダー)」。自分が、駄目出ししない限りは、人生に決して負けはありません。そして、結局は、全部「人の縁」である、それを大切にしよう、なんて、殆ど自戒です。また、同窓会は、「順送り」であることも、自分の言葉で伝えました。
 2浪の話、失恋の話を交えつつ、好き放題喋ってまいりましたが、無茶な一期生の県議会議員の余計な「お説教」は、結構、通じたようです。
 最後は、お調子者の卒業生が、手を振って送ってくれました。


 また、昨夜は、同窓生有志で飲み会をしたのですが、初代の校長先生にも、お越し頂きました。今年80才になられるのですが、大変お元気で、一期生の動向が、本当に気になられるご様子で、母校と卒業生に、深い愛情を持っておられます。
 劣等生だった自分が、親しく校長先生とお話しをさせて頂けるというだけでも、実にありがたいことです。議長就任祝賀会(!?)で、ご挨拶して頂く約束をして頂きました。
 こうしてみると、しみじみと時が経つというのも良いものだなぁ、と思います、


 そして、本日は、本番の卒業式。18歳がこんなに幼かったかな、あの頃の自分もこうだったかな、いろんな思いが交錯しながら、同じ校歌を歌いました。早くに亡くなった大好きだった先生が作った歌詞の中には、「競わん個性の・・」とあります。同じ歌が、20年。もう20年?まだ20年?
 頑張れよ、というより、お互い頑張ろうな、そんな思いです。こちらも、恥晒しなことはできません。


 私自身の附中、一宮、早稲田、JCという「同窓」の思いは、実は、「同窓」以外に、果たさなくてはいけない責任でもあります。
 例えば、議員のような立場の者が、過度に強調することを喜ばれない方も多いとは思いますが、その中で、己の責任を果たす、責任と誇りをもって、広く還元していく、そういう心意気は、忘れません。


 良いことばかりではなかったけれど、自分の人生を愛するように、その舞台となったところ、なるところを愛したいものです。

 皆様、最近、母校に行かれましたか?時には、振り返ってみるのも良いことかもしれませんよ!

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