2001年12月30日(日)
【J・BOY 公職の誇りと責任】

 朝から、餅つきや年末のご挨拶で、年が暮れます。年々、お飾りが減っていく気がします。

 夜警の陣中見舞いは、思うように多くは、まわれず、午前2時30分まで。地域の問題、ラーメン談義、選挙の話・・・こういう時でないとじっくり話せないことがあります。

 真夜中の分団機庫の赤いランプに腰が引けたり、ふっと気分が萎えるような気がしたら、もっともっと、全てに本気な逢沢代議士は、今頃、どこの分団をまわられているだろう、と思い、己を鼓舞します。秘書時代を思い出しながら。
 まるで終わりのない旅のような気がしながらも、自分自身が、消防分団員だからこそ、よけいに、議員にとって、本当に大切なことだと思います。

 真夜中の自動車の中では、浜田省吾の「J・BOY」をガンガンにかけながら、時々、絶叫しています。歌詞が、身に染みます。

 「J・BOY、頼りなく豊かなこの国に、J・BOY、なにをかけ、何を夢見よう」


 年の瀬に、昨年は、長たらしく書きましたが、今年は、下記の9月議会の一般質問の思いが、全てです。
 未来永劫ではないかもしれませんが、岡山県の県議会の議事録がある限り、私の言葉は残ります。これを言うために、言い続けるために、議員にさせて頂いたのかもしれません。


 『先輩方の御厚情をいただきまして,私のわがままで,毎回毎回一般質問を続けさせていただいてまいりましたが,いよいよ10回目になりまして,ここはひとつ趣向をというわけではございませんが,これからさせていただきます質問は,あるいは,今までで一番過激な質問になるかもしれません。

 ただ,その根底にあるのは,あくまで職員の方であれ議員であれ,公職にある者の責任と誇り,それを回復したいという願いであり,尊敬する石井正弘知事に対して,いたずらに攻撃しようとか生意気を言ってみようとかというわけではございません。

 しかし,若い者が何を言うんならという部分がございましたら,これが俗に言う若げの至りでございます。どうか,そこのところをおおらかな気持ちで受けとめていただきますよう,心よりお願い申し上げます。

 さて,私は,この神聖なる本会議の議場で,愚痴を申し上げる気はさらさらございませんが,県議会議員に当選させていただいて2年半,先輩方や執行部,職員の皆様方のお力添えをいただき,自分なりに頑張らせていただいてきたつもりですが,なかなか成果が出ません。

 それどころか,周りを見渡せば,事態はますます悪化しております。景気は悪化の一方,毎日倒産のニュースが入り,完全失業率は5%突破,たび重なる想像を絶するような,信じられない事件の数々,崩壊する倫理,社会不安,環境の悪化,さらにはアメリカの連続テロ事件を契機にした国際的な戦争の兆し,一体この国はどうなってしまうのか。

 私は,議員として何をしているのか。何か日本はおかしいぞ。前代未聞の経済危機,社会的危機だとだれもが感じています。小泉総理への一時の圧倒的な支持も,このままでは本当にすべてがだめになる,その前に,根本的な手を打ってほしい,そういった国民の声でした。

 もはや右肩上がりの経済,豊かな未来,そんな夢にいつまでも酔い続けることはできないのかもしれません。高度経済成長がいつか戻ってくるというのは幻想にすぎないかもしれません。だれもが,本当に大きな不安を抱えています。

 ここから始まるのは,生き残りをかけた戦いです。今この瞬間に,どれだけ多くの岡山県民が歯を食いしばって頑張っておられるでしょう。どれだけ多くの方が,あしたの,いやきょうを乗り切るために汗と涙を流しておられるでしょう。家族のため,従業員のため,迫りくる倒産,失業,リストラの恐怖と戦いながら生きておられる方が,どれだけ多くいらっしゃるでしょう。

 10カ月になった子供の寝顔を見ながら思います。彼に何を残せるのか。こいつは将来,何もよいことがないかもしれない。既に,彼は,多くの借金を背負っている。また,これからも平気でツケを回されるでしょう。少子・高齢化が進み,さらに,国際的な緊張の中で,ずっと今よりも不安な社会で,ずっと借金を背負い,彼らは生きていかなくてはならないのです。

 また,どれだけ多くの子育て世代が今を耐えているかおわかりでしょうか。自分たちの受けてきた以上の幸せは,子供たちに与えられないかもしれない。親として,どれだけ情けないか。今をやり過ごしても,将来の経済的不安,社会的不安がどんなに大きいか。

 私は,彼らの声を代弁したいのです。政治は,未来の子供たちのためにあります。今声が出せる,意見が言える人たちのためだけではないのです。しょせん人間は死にます。人類という流れの中では,バトンランナーにすぎない。何を引き渡したか,それがその時代の人間の評価です。岡山県が,未来永劫続くとは思いませんが,我々の価値は,何を手渡したかで後世がすぐに判断してくれるでしょう。


 そんな不安の中で,それでも岡山県民は,岡山県に税金を払ってくださっています。納税の義務を果たすといえばそれまでですが,それは,決して岡山県職員の皆様を初め公職にある者の安定的な生活を願ってのことではもちろんありません。

 私を県議会議員に推してくださった方は,私が特別職公務員になる就職活動を手伝ってくださったわけでもなければ,先生と呼ばれて偉くなれと祈っておられたわけでもありません。公職にある人間に,全体の奉仕者である公務員に,しっかりと生命,自由,財産を守ってほしい。みずからの命をかけても,岡山県のために,岡山県民のために尽くしてほしい。それが,岡山県民の願いです。そのために,血税を納めてくださっている。代表に選んでくださっている。

 逆に,それにこたえるのが公職にある者の使命であり,誇りです。岡山県民が,みずからの血税を託した我々をどう見ておられるかは想像にかたくありません。私は,本当に使命感に燃えて,一生懸命働かれている職員の方の姿を身近で見ております。しかしながら,県民は,そうは見ないのです。

 これだけ民間が死に物狂いで頑張っているのに,我々の血税を使って,公務員は何をしているのか。繰り返される血税がむだにされる姿,しかも民間ではとても考えられない公務員の責任のとり方。民間は生き死にです。「ごめんなさい」では済まないのです。民間では失敗すれば,まさに命がなくなるのです。

 行政サービスの価値を税金の対価という観点から厳しく監視するということであれば,当然,岡山県に効率的な行政サービスが期待できない場合は,県民が税金を払わないという納税拒否の発想も出てくるでしょう。いつ税金不払い運動が起きても,県庁にデモ隊が来ても不思議ではないかもしれません。そのぐらい岡山県民は怒っておられるのです。

 今,私たち公職にある者は,一番大切な信頼を失っています。今再び我々公職にある者が,責任と誇り,信頼を取り戻さないといけません。 』

 よっしゃ、頑張っていきましょい。

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