2001年9月7日(金) 【改革 我々は、公職にある】

 一連のインキュベーションセンターの記述につきまして、今回は、かなり多方面に様々な方が、転送されたようで、基本的に、全党にまわったようです。伝言ゲームで、どこまで行ったかわかりません。
 どなたが、どこへ転送されたか知りませんが、ずいぶんされたですね。かまわないんですけど。

 安易に書いてきたつもりはありませんし、もはや行くところまで行けとも思うのですが、600回以上の中で、今回が一番、風当たりがきついようです。良かれ悪しかれ反応が出てきています。
 とりわけ、委員会の記述は、完全に敵を作ってしまったと言えるでしょう。

 どこに、どう流れても、どう扱われても、あらゆる評価を全て受け入れないといけません。


 ただ、委員会の発言、内容は、議事録に残り、モニターTVで、一般に公開されているものです。国会の審議に対して、国会議員が、国会外で言及しているのとなんら変わりません。密室ではないのです。
 まして、情報公開をうたって、当選した議員なら、自ら率先して行うべきものです。
 どの議員が、どの案件に対して、どういう発言をし、どういう意思表明をしたかは、県民につぶさに明らかにすべきです。
 私は、個人的な誹謗中傷をしているのではないのです。公職にある人間の公職についての話をしているのです。


 それでも、場合によっては、これで、執行部あるいは議員からも、「干される」かもしれません。あと、1年半の議員生活は、精神的には地獄かもしれません(実は、それを力に変えようと思っていますが)。
 おそらく、佐藤真治は、執行部から誠意を持って対応されず、もっとも「役に立たない」県議会議員になるかもしれません。


 正直に書いて、どきどきもしますが、腹は括りました。逆に、「始まるぞ」と身震いするような期待感もあります。手段はどうあれ、揺さ振りをかけたのですから、これが、スタートです。
 心配の声、ご批判の声、また、潰れては意味がないぞ、との声、力を出すのは、何期か当選を重ねてからだ、の声、様々頂戴致しますが、相手が、100万騎あろうとも、今、行かねばなりません。時間が解決する状況ではないのです。
 変な話ですが、やっと自分が目覚めた感じがします。本能。血がたぎるというか、今ここに自分がいる意味がわかる、そんな気がします。


 このままでは、この国は駄目になる、このままでは、本当に岡山県が駄目になる。私は、将来に対して、右肩上がりの甘い夢は、一切持っていません。子ども達の未来がこのままでは、潰されてしまう。
 個人的には、岡山市の動きを高く評価したいのです。しかし、岡山県は、岡山県議会は、まだバブルのうたかたの夢の中に、眠ったままです。

 いつまでも、この状態が、続くわけがないのです。いつか、誰かが、やらなくてはいけない。それは、今です。誰も立たぬなら、私がやります。


 我々は、公職にあります。公職の試金石は、難しいことではない。要するに一言、岡山県職員は、岡山県議会議員は、「岡山県のために死ねるか、岡山県民のために死ねるか、未来の子ども達のために死ねるか」それだけです。公職の全ての基準は、そこにあります。
 根本的な精神において、自己犠牲、公職に殉ずる覚悟が要ります。それが、どんな公務であれ。

 ここから、始まるのは、未曾有の混乱した社会だと私は認識しています。おそらく我々の生きている間に、あとは、今日より昨日、昨日よりおとついが、一番良い状態かも知れません。

 その時、公職にある者、端的には、直接税金で雇用されているものは、率先して、汗と血を流せ。その覚悟がないなら、直ちに、公務の場から去れ。己の生活の安定のみのために、市民県民の血税の上に、平気であぐらをかくものは、公の奉仕者ではない、直ちに辞職せよ。県民のために、岡山県のために、先頭に立って、難局にあたれ。耐えるべきものは、徹底的に耐えろ。それが、公職に就くものの誇りである、公職に就き、生きる意味である。

 そういった徹底した意識改革と実践がないと、岡山県は、今、公職にある方々に潰されます。おそらく自浄能力はないと思います。ならば、是非、外圧が、市民県民の皆さんの声が必要です。

 しかし、我々は、公職に期待もするのです。全てを批判しているわけではないのです。今が、民間同様、生き死にをかけた勝負時です。

 佐藤真治個人には、誇りも意地もありません。私は、別にどうなっても良いのですが、公職に就いた者の、責任と誇りはあります。

 信じて頂きことは、私は、常に、県民の皆さんの方を向いていることです。いや、一人の県民が、何も持たぬ庶民が、政治の世界に、行政の懐に飛び込んで、これは、おかしい、県民のため、庶民のためになりません、変えて欲しい、と言っているのです。
 おかしいことが余りに多すぎます。



 改革・・・それは、岡山県民の未来をかけた勝負です。


 ある会合で、初老の方が言われました。あの県議も、あんたぐらいの年の時は、同じようなことを同じような目で言うとった。初心を忘れるな。
 決して、忘れません。
 ある面で、安易に流れる自分との戦いです。私は、自分をもっと追いつめたいのです。そこから、跳ね返していくのが、私の生き方です。
 受けてたとうじゃねーか。

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