2001年5月20日(日) 【他者のこころ】

 スポ少の大会の後、岡山市ジュニアオーケストラの練習を見に、旧内山下小学校を訪ねました。以前から、校舎の一室が、ジュニオケの練習場と楽器置き場になっています。
 また、一室には、深柢小学校の校歌が書かれた木板も置かれてあり、なんとも言えないやりきれない気持ちになりました。
 校舎を懐かしいと感じられる卒業生や関係の方には、違った意味で切なく感じられると思います。
 いつのまにやら、思い出の中に、ジュニオケと後楽館がいた、これは、入った方も、また辛いでしょう。もちろん、ジュニオケと後楽館が悪いわけでもなんでもないのですが。

 その後、NPO法人のミーツが、丸の内の「岡山禁酒会館」の保存のために、開かれていたワークショップに寄らさせて頂いて、「思い出」とまちづくりは、本来切り離せないものだとつくづく思いました。

 人生が、終わりに近づいた時に、確かに自分も愛されたんだという思い出や、その舞台だけが、時には救いになるかもしれません。なにより、ふと、いつでも帰って行きたい場所、どうしても残しておきたい風景は、誰にでもあると思います。
 あるいは行政主導だと、無神経にそれを破壊するようなまちづくりに、なるのかもしれません。人に優しい、とすれば、思い出にも優しい街でないといけません。


 わからないと言えば、動物のこころです。本日は、岡山動物愛護会の「考える会」にも出席しました。概要は、昨日の朝日新聞の通りです。非常に難しい会でした。

 県内で、毎年1万匹を超える犬や猫が、「処分」されています。適切な不妊手術の必要性など、啓蒙活動がどうしても必要です。

 個人的には、やはり飼い主のモラルの問題が、極めて重要だと思います。あるいは、免許制でもありませんが、最終的には、飼い主の資格要件は、問われてしかるべきだと思います。ペット税も、ありうるかもしれません。
 ただ、いわゆるペットを飼うのが、ただの嗜好かというとそうではなく、癒しでもあり、なかなか飼い主のこころにも、踏み込めません。

 いずれにせよ、そもそもは、熊本で見た実験動物のパネル展から端を発したわけですが、6月議会の一般質問に向けて、動物愛護、引くに引けなくなりました。
 これだけは避けたかったのですが、どうしても、県畜犬処分場など、最後の段階の施設に行かなくてはいけない流れです。もう見ていられないそうです。
 既にこの段階で、辛いです。

 しかし・・・・・その一方で、肉を食らう・・・・人間とはなんぞや?

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