2001年4月5日(木)
【井原市議会議員選挙 あすなろ】

 2年後の統一地方選挙以外の時期にも、もちろん選挙はあり、先の倉敷に続いて、15日(日)告示、22日(日)投票で、井原市議会議員選挙が、行われます。定数2減の20人に、23人立候補予定です。

 本日、井原に陣中見舞いに参りましたが、今回私が、心情的に応援させて頂くのは、○○○○候補。年齢は、私と同じ36才。実は、昨年まで参議院議員加藤紀文先生の地元秘書でした。
 要するに、「秘書上がり」であり、いわば、一緒に戦った同士です。

 私たちの業界で、一番大切なのことは、筋を曲げないことであり、たとえは悪いですが、極道の世界と同じです。親分、子分、兄貴に舎弟。抗争があっても、戦争しても、筋はどこまでも通すのが基本です。
 公然とお世話になった方に対して、刃を向けるなら、犬畜生にも劣る、と言われても仕方ないかもしれません。

 しかし、「親分」の選挙区内での出馬は、結果として、ご迷惑をお掛けすることにもなり、そうであるならば、必ず当選し、一刻も早く自立した城を構え、いざ鎌倉の時には、一番槍で駆け込む、それが最大の恩返しです。それしかないのです。

 本当に温厚な加藤先生ですから、愛弟子の挑戦へのご心配は、いかばかりか、と思います。
 そして、地元秘書として、いつか遠い明日、自分もバッヂをつけようと、頑張ってきた、彼の苦労もわかります。何も言わなくても。あすなろの木のように皆、立っていた。この日のために。

 村田事務所から、久徳県議に三村倉敷市議。逢沢事務所から私と、30才代の「秘書あがり」の当選が、続きました。
 はったりのない真摯な○○さんに、是非、井原を引っ張っていって欲しいのです。ホテルの駐車場で、運転手として、皆で、だべっていた、私達の政治の青春時代。あの頃とまた違う形で、皆で会えたら、どんなに良いでしょう。
 彼ならやれるはずです。

 選挙は、極めて苦戦が、伝えられています。
 私の友人を市政の壇上に上げて頂きますよう、ただただお願い申し上げます。
 井原にお知りあいは、おられませんか?

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