2001年3月2日(金) 【母校の卒業式】

 母校一宮高校の卒業式に出席させて頂き、よく考えると振り返って感傷に浸るほどあまり懐かしくなかったことがわかりました。というのは、卒業式の時点では、大学受験の合格発表が全ては終わっておらず、にもかかわらず、私は、発表を待つまでもなく、卒業式の時点で、浪人することがわかっていたのでした。しかも、私は、2浪させてもらったので、十代後半は、いよいよ全く楽しくなかったのでした。あまりに辛いんで、忘れてました。
 今年も、我が母校は、50人以上が、補習科へ。正確には、「卒業」していないのかもしれません。

 個人的には、いわゆる進学以外に進路変更した場合の対応が、普通科の場合、極めて難しいものがあると思います。とりわけ、一部の特に女子生徒にとっては、辛いこともあるんじゃないか、と少し悲しくなりました。一見楽しそうでも。
 受験戦争は、必ず誰かが、いや誰もが、傷つきます。

 昨年文教委員会で、一宮高校に県内調査にお邪魔した時に、生意気に申し上げました。
 生徒が東大に何人入ったかが、先生の評価ではない(高校生にもなれば、東大に行くような生徒は、先生が放っておいても行きます。先生が東大を出ておられないのでしたら、多分東大の受験指導そのものは、無理でしょう。むしろ人生指導、環境整備はできても)。例えば、進路変更した時に、どれだけ生徒を支えられるか、何人がこの学校に来て本当に良かったと思えるか、それが先生の評価ではないですか?と。
 その思いは、今も変わっていません。
 おそらく、しっかりした目的意識があれば、与えられれば、誰だって頑張れるんだ、私は、そう信じています。また、そのためにも志望を変えられる柔軟な制度も必要だと思います。ひとつの基準が、人生全ての基準ではないのですから。

 一宮高校の一期生として、後輩達が素晴らしい自己実現ができることを切に望みます。それは、ただもう同窓というだけの理由でことさらに。

・・・・などと、格好付け言ってる場合じゃないんです、質問原稿を書かなきゃ!!

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