2000年12月19日(火)
【高校生会議より 17歳だった】

 本日、県教育委員会指導課のしきりで、「高校生会議」シンポジウムー高校生と共に考えるーに、一市民として出席しました。マスコミがかなり入っていたのでおそらく、多くの報道がされるとは思います。

 県下の高校生や教師が、約200人、「17歳」の背景や、いじめについて議論が行われました。マスコミの評価は概ね好意的だとは思います。

 私の17歳と言えば、家業が倒れて親戚がモメて、おまけに新しい生業は、夜間保育で、夜のご商売の方が出入りされ(今もですが)、家がたいそうおもしろくなく、夜な夜な自転車で長船の方まで徘徊し、成績は430人中350番から400番あたりをさ迷っていた頃です。
 当時同級生だった今の家内には相手にされず、どちらかと言えば本来は、「切れる」グループに近い精神状態だったと思います。

 そう考えると、この種の会議に先生に引率されてくる彼らは、いったい何物か?「17歳」の当事者かしら?という気分がしないでもありません。ガンダムに溺れる当時の私だったら、死んでも来ない類の会かもしれません。


 もちろん、今日の高校生は本当に真摯で、大丈夫に思える、明日に希望の持てる生徒達でした。彼らに問題があるわけではありません。
 ただ、大人が、これにて一件落着としては、いけないのです。

 いじめを無くすことには、誰も反対しません。良い会議でした。しかし、この会議中に、別の17歳は、この岡山のどこかでもがいて、荒れて、苦しんでいるのです。明日に具体的に、どう繋がったろうか?少し疑問です。

 会の中で、2つの発言が気になりました。それは、教育に対しての「地域」の責任と「父親」の責任です。実は、どちらも教育委員会の範疇を飛び出します。しかし、それは確実に問題解決のキーワードだと思います。
 また、知事の大好きな、いわゆる「青少年問題を考える100人委員会」との連関がないのも気になりました。

 この会議の成果をあとは生徒と教師で各学校で活かして下さい、では、なんの解決のもならんのではないか、と思います。
 集まって話す過程が重要、とはまさしくそのとおりだと思います。ただ、なにか割り切れないものが残る、そんな会議でした。

 今の高校生は、あの阪神タイガースが優勝したバブル絶頂期に生まれた子ども達です。同時に、彼らの親は、バブル崩壊の直撃を受けています。

Copyright (c) 2000 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp