2000年11月26日(日)
【革新系への愛がある罵詈雑言】

 私は、地元秘書の活動は一種の広告代理店業務だと思っていました。この業界では、明確な「商品」は代議士以外になく、代議士の魅力や、未来の夢をイメージでお伝えする、そんな仕事と認識していました。
 そのために、法に抵触しない範囲であらゆる手段を講じる、それが「営業マン」の仕事です。どれだけ、その魅力、人間性を伝えられるか。


 ところで、催し事のパンフレットやチラシには、概して主催、共催、後援、協賛、協力・・・・と企業や団体名が連なります。

 広辞苑をひいてはいませんが、一般的に、「後援」はマスコミや公共団体など、会の信用度を高める名前貸しのようなところがあって、会の開催の宣伝など、どちらかというと公報面のメリットだと思います。財団などが入れば、金銭的なメリットもあるでしょう。
 実質的には主催者である団体が、敢えて主催を実行委員会にして、一歩引く場合にも、使われるように思います。

 「協賛」というと協賛金という言葉があるように、いわゆる物的(金銭的)なものを見込み、また、協賛する側も、自らのイメージアップをねらうというもので、スポンサーという感じでしょうか。

 「協力」というと、マンパワーというか、実務的な面で汗をかくようなイメージがあります。


 私が、申し上げたいのは、マスコミや公共団体以外の「いざ鎌倉」の際に、政治的な活動も行う団体が、「後援」「協力」に入る場合のデメリットです。
 頼む方も頼む方、受ける方も受ける方です。


 端的に言えば、例えばある労組が、後援に入る場合、基本的には、その催しは、一般市民の方に対してはそう認識されなくても、我々保守系議員や、マスコミ、公共団体に対しては、革新系の催しに「映り」ます。主催者の意図は別にして、本当は世間にそう告知しているに等しいのです。

 実際選挙になれば、その団体は敵になってこちらを銃撃してくるのです。その名前を見て、全く気にならない保守系政治関係者は、皆無でしょう。

 そういった催しの効果が、結果としてどうであるのか、成果が出たとして、時間がどの程度かかるのか。名前が無い場合に比してどうなのか。
 おそらく、事態を悪化させているケースも少なからずあると思います。
 なぜ、いちいち団体の名前を出さなくてはいけないのか?本当の裏方に、しっかり回れば良いと思うのです。わかる方には、それでもわかるはずです。それで充分だと思うのですが。


 もちろん、労組に限りません。いわゆる政治色がついた団体(協同組合を含む)、あるいは政治家そのものが、何かの催しの際に、名前を羅列することが、本当にその主催者や関係者、ひいては一般市民の方々に資するのか、私には疑問です。

 大会名誉顧問など以外で、新聞告知される全くのオープンの会のパンフに協力者として名を連ねるようなことを保守系の議員が、いつしたでしょうか。


 例えば先日、本来政治色があるはずの無い団体の催しで、私は切れそうになりました。舞台の横に、今回の知事選挙で使ったのでしょう。現職の対立候補になった方の名前がでかでかと書いてあったのを一応消したものの、はっきり読み取れる、そんな労組の宣伝カーが、堂々と置かれていました。

 その無神経さに腹が立つのです。こちらが、一歩でも進めたいと心から願っても、「市民とともに」とうたい、否、市民を人質に、いつのまにやら政治活動に巻き込んで行く。そのやり方が、私には許せないのです。

 なぜ、ある労組は、組合は、なんでも市民運動にしたがるのでしょう。市民運動と組みたがるのでしょう。あげく政治行動につなげようとするのでしょう。成果を事業報告にして、結局は我が物にしようとするのでしょう。

 自分らが目立てば、市民が知らぬ間に政治活動に参加してれば、それで良いのか!大学生のオルグか!あなた方も変わりなさい!!と言いたいところです。


 自分が関わることで、本当に前進するのか、自分が名前を連ねることで、どういう影響が出るのか、わかっていように、なぜ、それをするのか?きちんと相手に説明しているのでしょうか。

 私は、広告代理業であったと同時に、ここで代議士の名前を出すことが、本当にその団体のためになるのか疑問に思った場面では、必ず引きました。政治色は一切出されない方が良いですよ、などと平気で言っていました。逆に言えば、それが信用でしょう。


 大切なのは、正しいと感じる願いを一歩でも前進させることです。そのためには、自分の見栄もメリットもこだわりも、一切関係ないのです。ましてや、かえって阻害することになる団体の利害など、捨て去るべきです。

 わからしめるよりも、わかる人には、わかるというスタンスで良いと思うのです。それが、本当に市民に資することならば。名誉ある撤退をすることもあるでしょう。わかっていても意地で突っ走るのです。


 例えば、いつも反対に回るある革新政党を支持する団体が、誰かの代弁者になった。こちらは直接話を伺いたくても壁がある。結果、誰かの願いが叶わなかった。代弁した彼らは言うでしょう。「ねぇ、ほら、自民党は、庶民の気持ちなんてわかんないのよ。弱い者の味方は私たちだけでしょ。やっぱり自民党を倒さなきゃ。」・・・・直接来てくれれば良いのに。
 あさっての方向に走る飛脚の荷物は届きません。


 おそらく、今後の活動でも、とことん引く場面では引きます。私は、これこれで代表として動きました!などという、目立つところの「おいしいどころ取り」をする気は、さらさらありません。「アイドル議員」ではありませんから。
 また、逆に、革新系も、「引き方」を覚えるべきだと思います。


 また、なによりも、たまさか、あるいは今までは、何かの拍子で、壁の向こう側におられた方々がいらっしゃったら、壁をこちらからぶち破って「救い」に行きます。世紀末とは、そういう時代です。全てが、変わるのです。
 白馬に乗った子豚ちゃんが、助けに行くぞ!!
 こんな集団ができれば、政治はいっぺんに変わります。


 自民党の体質だけ変えても、野党も変わらねば、世の中良くなりません。



 ここ数日、いつにも増して、歴史に残るような、ぶち切れた文章でございましたことを心よりお詫び申し上げます。(しかも長い!!)


 野党、とりわけ、本当はかなり親しい新左翼、共産党、草の根関係の方々には、確信犯的な暴言をはいたことを心よりお詫び申し上げます。
 良いじゃないですか。いつもさんざん、罪の無いかわいい私に、自民党の悪口を言ってるんだから、時には言われても。
 愛情を込めて悪口を書きました。


 世の中を良くしたいという思いは、共通です。
 そして、根本的な仕組みに疑問を持っていることも、真剣なのも、共通です。あとは、どちらがやり切るかの戦いです。

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