2000年11月2日(木) 【保護司になりました】

 平成12年11月1日付けで、法務大臣より保護司を委嘱されました。おそらく岡山県下(定数1070人)で、一番若い保護司だと思います。
 日本の刑事政策で、世界に誇れるものが3つ。検察官の起訴猶予制度、交番制度、そして、保護司制度と言われています。
 今日は、新任保護司辞令伝達式と実務研修があり、半日レクチャーを受けました。
 ちなみに、岡山県の保護観察所は、南方の高等裁判所の横、法務局合同庁舎の中にあります。

 保護司は、民間のボランティアで、地域の事情や習慣をよく理解している地域住民の代表として、専門官である保護観察官と一緒に、保護観察を行う他、犯罪や非行防止のため、地域社会の浄化のために、活動します。
 その身分は、非常勤の国家公務員ですが、無報酬で、奉仕活動に従事します。(公務員でも、非常勤なので政治活動は、可能。)
 対象の人達の立ち直りを助け、刑務所や少年院に収容された人達が、社会に復帰するとき、その環境を整えて、更生を助ける働きをします。

 犯罪や非行に走った者を、通常の社会の中で、健全な社会人として更生するように指導し、援助する「更生保護」の担い手のひとつが、保護司なのです。
 ちなみに、「更正」でなく、「更生」と書くのは、「更」と「生」を合わせて「甦らせる」という意味です。

 どえらく分厚い法規集や、資料を頂戴しておりますが、法律用語も多く、おって、議員活動に加えて、保護司の活動も、制度や仕組みについては、具体的に紹介させて頂きます。

 個人的には、議員になった時より、様々な意味で、恐怖感、不安感を持っています。明らかに目の前にいる具体的な一人の人間の人生に関わっていく責任は、議員とはまた違った形で、肩にのしかかってくる重圧です。
 奇麗事や、絵空事では決して済まされない、どうしようもない現実が、目の前に叩き付けられると想像します。


 そして、守秘義務。死んでも話してはいけないことも、出てくるでしょう。何より保護司自身が、身を正さなければ、例えば罰金刑を受けたら、罷免です。保護司である私自身の行動が、自ずと制約されてくると思います。
 ゆえに、通常は、住職や、町内会長、ひととしとられた人格者が、奉仕でする役職です。様々な理由で、お受けはしたけれど、議員がまともにできないのに、保護司ができるんか?と、自分でも思います。

 しかし、おそらく保護司の活動を通じて、かなり人間的にも成長できるのではないか、と期待しています。そもそも対象者同様に、私自身がまだ可塑性に富んでいると思います。
 そして、人生の奥行きが、少し深まりそうな予感がします。あるいは、人間が、少しわかるかもしれません。
 ともあれ、今は、36歳の若造である私にとって素晴らしいチャンスを頂けたことを心から感謝です。
 50歳の時には、ちぃーたぁー成果も出るでしょう。


 このメールで書いてきた落書きや暴走する彼らに、違った形で出会う時、私の人間が、試されます。自分と全く違う生き様をしてきた人間、180度違う価値観で生きてきた人間がいるとしたら、どう対処すれば良いのでしょう。

 人間力を高めること、「指導する」だとか、己の価値観に組み込むとか、他人のことが分かったような口を決して叩かないこと、あくまで、相手がどうあれ、見下さない、見くびらない、突き放さない、決めつけない、あきらめない、受け入れる、とことん話を聞く、むしろ教えを請う。感謝する・・・・・。
 そんな気持ちをいったいどこまで実践できるのか。とんでもない宿題が、出された気がします。向う40年の大事業です。

 「こころ」では、決して個別具体的なケースに、触れることはないと思いますが、大きな不安を持って昨日からなった保護司としては、あるいは悪戦苦闘している日が、あるかもしれません。


 話がすっかり変わるのですが、こしんじ君(仮称)誕生まで、予定ではあと丁度3週間ですが、「立ち会い出産」は、やっぱし気の弱い私は、卒倒しますか?どうか教えて下さい。

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