2000年9月25日(月) 【強行採決】

 今日の文教委員会については、そこそこに報道があるかもしれません。
 お伝えしたに日本会議岡山から提出された「県教育委員会に教科書採択の指導強化を求めることについて」の請願が、共産党、民主党の議論を遮り、一挙に強行採決。6対3の多数を持って、採択になったからです。

 今日の強行採決風景が、どういったニュアンスで、報道されるのか不安です。自民党の横暴ということになるのでしょうか。
 特に、教科書の内容にまで、踏み込んだ請願が採択されたのは、あるいはやりすぎと評価されるかもしれません。所期の目的は、採択方法を変えることでも、果たせたとも言えます。
 文部省の「検定」の領域に突っ込んでいるオーバーランという批判もあります。


 この問題の本質は、偏向した歴史教科書を教育現場から、排除することにあるのですが、あるいは反動的な動きとして、おもしろおかしく報道されてしまうかもしれません。

 27日本会議最終日でも、この請願が採択されることは確実で、「教育議会」が、残したのは、青少年問題に対する抜本的な対策ではなく、歴史教科書の採択方法の変更でした。


 もとより、こと歴史教科書問題については、歴史教科書に限らず、教育基本法10条の規定について、「不当な支配」をしているのは、むしろ一部の熱心すぎる現場サイドである、「国民(県民)全体に対して直接に責任を負う」のは、中立的な教育委員会でこそあれ、教師そのものではない(したがって教育委員会が、もっと前に出るべき)という主張に同調します。

 この点、御異論はあろうかと思いますが、某団体のある要請書の記述に象徴される「学校の教員には、児童・生徒の教育に直接責任を負う専門職として、教育課程の編成、教科書の採択、教材の選定などに幅広い権限と責任が認められなければなりません」などという、部分には、賛同できません。

 申し訳ありませんが、政治家ほどひどくないにしても、警察同様、教員の方々に対しても、悲しいかなそれを認められるほどの全幅の社会的信頼が、今は、もはや、ないのではないでしょうか。

 ちなみに、この要請文では、その根拠に、34年前のILOの規定を持ち出していますが、この要請書には、肝心の「学習指導要領」の文字が一言も、出てきません。
 義務教育の教師の方に、内容も教材も「主観的に」判断されては、困るのです。皆様それぞれに、ご努力されているのだと思いますけれども、先生の当たりはずれで、人生を曲げられたらかないません。

 ですから、挙手については堂々と採択に上げました。


 ただ、こう書きつつも、どっちもどっち。それぞれに皆、政治的立場でモノを言います。政治的立場を越えて、教育問題を語れません。これでは、子どもが、たまったもんじゃない、とも思います。
 もっとも、こしんじが、まだ生まれていないので、実感として教育を私が、語れないというのもあります。これは、限界としか言いようがありません。
 是非、皆様が親として、教師(に対して)として、お感じの所をお伺いできれば幸いです。



 加えて、今回の強行採決、自民党的には、仕方なかったとも思いますが、野党なら、「数の横暴」と主張するのも、無理からぬ事だと私も思います。
 おそらく、答に確信があっても、手法については、自民党の先輩議員の方々も、採りたかった方法ではないと思います。

 ただ、もはや「思想の違い」と言えるほどに、議論は果てしなく平行線で、途中で議論を切り、「採決します」というしかなかった、副委員長としてもそう思います。何日続けても答は同じ、だったでしょう。
 仕方なかったのです。



 本日からは、常任委員会にもモニターTVが入り、別室の傍聴は25人だったそうですが、今日の傍聴者の方で、もともと反自民なら、ますます自民党が嫌いになったろう、と確信します。
 特に、「休会」として、モニターを切り、「休会中の発言」の応酬があったりしたのは問題視されるでしょうし(これでは、見られない!!)、委員会の審議ルール、委員長の采配のふるい方等、私もびっくりのテクニックが、連発しました。これでは、「素人」にはわからなかったでしょう。

 ただ、終始無言の副委員長としては、実は、先輩議員の凄さに感嘆していたのも、また事実です。多数決で、答は分かっているので、もはやディベートとも言えません。しかし、表現は不適切ですが、ある種のゲームでした。
 そのゲームに、先輩議員は「慣れ」ていました。



 いかに「場」を読んで、個々の役割を認識しながら、連携して応酬するか、議論せずして議論するかを学びました。計算してかの大ボケの論点外し、見事な論点すり替え、わかってて言う、しっちゃかめっちゃか・・・・さすが政治家。
 海千山千というのは、こういうことを言うのだなぁ、と本当に感心しました。

 言いたいことは言わせるが、切るべきは切る、そのタイミングを計るような、冷静さと冷徹さがあります。
 実は、そのことは、野党も全てわかっているような気もします。顔を立てて言わせろ的なところもあったと思います。
 この微妙なところが、1年生議員には、わかりません。


 所詮かみ合わないし、勝負のわかった議論をどう収拾するのか、です。
 私は、共産党の役をする勇気も能力もありません。やはり共産党畏るべし。それを抑える自民党もまた、畏るべし。


 初めての強行採決に戸惑うばかりで、正直に書いて、副委員長は、ゲームとしては、0点だったと思います。
 いろんな意味で、苦い思い出が残ってしまいました。

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