2000年9月10日(日)
【議員の役目 点が線に、線が面に、面がうねりに】

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 高齢者の主張大会in岡山、62万人市民の集いに、僅かに顔を出しましたが、なんといっても選挙を手伝ってくれた女性の結婚披露宴に出席させて頂き、心がほくほくしています。なんとも幸せな気分になりました。
 親族でなくても、少し幸せを分けてもらえたり、例えば、心から尊敬できる人(肩書きにこだわらない人。お年寄りや、女性が多い気がします。)に、多く出会えるのは、議員特権かもしれません。

 最近長いのですが、今日は、特に長いです。お許し下さい。本気なもので、思いを止められません。重くしてすみません。ルール無視の無礼なメールです。お気に障りましたら、是非、今、削除して下さい。(本日分は、一部の方にしか、配信していません。)
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 先日、養護学校の先生をされている中学校の先輩と腰を据えて話をしているうちに、「佐藤君に会って、点が、線になる気がするなぁ。」という、言葉を頂きました。
 最もうれしい言葉です。あるいは、ちっぽけかもしれませんが、ひとつ今夢があります。それは、どうしても、いろんな力が、結集しないと実現できないことです。まだ、とても書けませんが。
 点が線に、線が面に、面がうねりに。 久しぶりのような感動があります。何も今は、見えないけれど、少し明かりが差していて、可能性という言葉が嬉嬉として飛び回っているようです。


 私は、地方議員は「政治家」だとは、思っていません。自分が、政治の世界にいることは、確かですが、議員は、代わりに、あるいは代表して議論する者で、ある意味で必ず代弁すべき「背景」を持っています。
 絶対多数の絶対幸福のために、利益を調整しながら動く「政治」は、首長の役目です。特に、地方はいわゆる大統領制をひいていますから、首長の「政治家」としての力は、絶大です。
  しかし、議員には、「しばり」が、あります。時には、議員同士の「背景」の衝突もあります。ある面、議会も、その調整機関です。


 ただ、私は、議員には、媒介役という役目が、あると思います。
 およそ、本来なら、出会うことのないAとBを結びつけて、Cという力を生み出すのです。人(点)を結び、線にする、線を結び面にする、面を揺さぶりうねりにする。そのコーディネーター、媒介として動くのです。すなわち、「仕掛人」です。絶対的な主役は、市民です。仕掛人には、決して陽はあたりません。あるのは、極めてささやかな自己満足です。分かる人には、分かるだけです。それで、充分なのです。


 過去に、逢沢事務所で、仲間僅か数人で、隔月で計25回フリーマーケットをしてきました。年4〜6回、足掛け5年続きました。
 数千人は、人が集う人気イベントでした。未明に、アスファルトに、線を引き準備を整えて、来訪者への絶対的信頼のもと、とにかく「場」に任せました。賑いを事務所の2階から眺めて、ほくそえみました。自由の中で、起きることに、時には驚きながら、絶対的なルール違反がない限り、スタッフとしては、表に出ませんでした。祭りの後に僅かな満足を持って、ただ片づけました。

 誰かが、喜べば、喜んでくれれば、それで良かったのです。結び合うことで、何かが生まれる、その場を作れることが、うれしいのです。フリマの「仕掛人」の喜びは、共通です。また、そういう思いの場には、人が寄ってきます。
 「フリーマーケット in OKUDA」は、私の退職と共に、消えましたが、存続の声が強く、今3年ぶりの復活の依頼を受けて、迷っています。


 その昔、別の仲間とミニコミ紙を作りました。彼は、日本を去りましたが。5〜60ページの「What’s New」は、7号で、止まっていますが、今でも奇跡の本だと思います。当時私は、一ノ瀬和也のペンネームで、執筆し事務局をしていました。私の名前は一切出ていません。

 ともかく、これはという人(おそらく将来、そのジャンルで、リーダーになっていくような若手)に無料での原稿執筆を依頼して、自分達で原稿回収。手書きの原稿は、ワープロで打ち直し。ホームセンターで、1万5千枚コピー用紙を買い、友人に、1万円で、印刷を頼み(無理を頼んだなぁ、あの時。今更ながらに、ありがとう)、製本は、ほぼ2人で、原稿を並べて、ホッチキスで留めて、1500部ほど作りました。自宅の部屋に並べて、何日もかかりました。今度は、それを約15の公民館、喫茶店、図書館、友人・知人等々に、無料で配って回りました。

 2人で、毎回5万円ほどの赤を出し続けていましたが、なぜかそれでも良かったのです。まるで反応はなく、時々一ノ瀬和也へのファンレターが、届きましたが、もうひとつ意味が理解されていませんでした。
 「What’s New」は、点をうねりにする起爆剤にすぎなかったのですが、ほとんど無名の右も左もごちゃまぜの若い執筆者群の超手作り雑誌は、カルトか、ゲリラか、アナーキーか、やはり「奇跡」でした。
 そこは、「場」だったのです。私たちは「仕掛人」のつもりでした。
 本当に、もう2度と出せないのか、これまた一ノ瀬和也の血は、死んではいないのですが。これを越えるのは、岡山では、「ぷらんねっと」だけです。
 このメールも、多くの元執筆者に送られています。覚えていますか?


 しかし、秘書時代に、よくこんなことを逢沢代議士は、許して下さったものです。バレバレだったと思います。心から感謝です。
 他にも、阪神大震災の緊急救援活動。突然、古靴を集めてスリランカに行く。AMDAのコーディネーターで、イラン出張。半ば市民団体の方々と沖縄ツアーに出かける等、不安定な行動が、目立ちました。

 ただ、全部本気でした。全部なにかにつながると信じていました。点をうねりにする、その思いは、全く変わりません。心の底から、思っています。本当に私は、私自身は、どうなってもいいのです。しかし、人と人を結ぼう、その結果、私が要らなくなったら、そっと去れば良い。それでいいのです。

 おそらく、これは市民運動や街づくりの根幹にあるメンタリティーだと思います。「どうなってもいいんですか?」「なんでそこまで、赤の他人のためにするんですか?」「自分がやった、と、もっとアピールしたら?」
 少しでも、自分に取り込もうとしたら、一挙に運動は終焉に向かうか、まず伸びません。リーダーはいても、ヒーローは、いらないのです。
 結び役、仕掛人は、求めてはいけない。評価は、100歩後ろをついてくる、のではないか、そう思います。


 私は、本気の思いと本気の思いを結びたいのです。ただ、純粋にこの街を思い、人を思い、純粋に自分の手で、なにかしたいんだという思いを、何の見返りがなくとも、名前も、お金も、組織がなくても、ただ熱い思いだけしかなくても、本当に泣いている人がいて、本当に苦しんでいる人がいて、努力してもしきれない人がいて、助けを求めている人がいて、明日を探している人がいて・・・・それを結びたいのです。全てを結びたいのです。それが、議員には、できるはずです。いや、議員でなくてもできるでしょう。生き方の問題です。

 多分、商売でも、経営でも、同じだと思います。何かを結ぶことで、少し遅れて、ちょっとばかしお金を頂戴する。主役は、お客さんです。

 私は、何も要らないのです。密かな自己満足があればいい。自分が自分に納得できればそれでいいのです。必要なくなったら、もう動き出したら、いつまでもそこには、いない。勲章も、証も、評価も、いりません。
 いつか、「あぁ佐藤が、いたなぁ」で、いいです。

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