2000年9月3日(日) 【天命】 | ||
日曜日の戯れ言かもしれませが・・・・。
今日は、京橋朝市や児島湖流域清掃大作戦、第18回世界Jrパワーリフィング選手権大会壮行会(パワリフは、岡山大学の三浦先生のご指導で、岡山が世界に通用する競技になっていますので、御見知り置き下さい。)、さらに、岡山が生んだ天才の一人だと思う大月先生のNPO法人設立念邦楽コンサートなど、実に刺激的な一日でした。 とりわけ、自民党県連企画の「平沼通産大臣就任を祝う会」は、大盛況で議員はもちろん、県からも幹部クラスの方が、多く出席していました。大臣は、61才、ここから10年、政治家として様々な意味で、最高におもしろい位置におられます。7期20年、運輸大臣に通産大臣。総理大臣も充分ねらえます。 ともかく、論理明解で、終始一貫、威厳とかカリスマ性のある政治家として、多くの地方議員は、ある種の憧れを持っています。特に、初出馬から連続落選2回が、ここにくると俄然光ってきます。政治家としてあるべき姿のひとつを体現されていると思います。 個人的には、明かりを消した事務所で独り頭を抱えている姿や涙が想像できる、どん底を知っているから信頼できる、本当に困った時に会いたい、本当の答が返ってくる気がする、不気味な表現をすれば、男が男に感じる色気(任侠)というのがあると思います。 それにしても、大臣をもってしても、20年。ずいぶんかかります。そのシステムもさることながら、あと20年経ったら、自分がどうなっているか、想像もつかず、気持ち悪くなります。どこで、何をやっているだろう? そもそも、我が家は、倒れる約20年前までは陶器屋で、2浪して大学に入って、卒業後司法試験を目指し挫折。新聞配達を1年、岡山リビング新聞社で営業を1年、逢沢代議士に拾って頂き、地元秘書を5年。選挙区域の変更と現職の引退を受け、34才で立候補して当選。ざっと書けばこうですが、いわゆる社会人になって、10年にもなりません。 本当は、こんなに単純でないし、涙も笑いもありますし、努力していないつもりもありませんが、なにも政治家の家系でもなければ、家が大きな商売をしているわけでもない、結局は、皆さんの力と運だけで、いつのまにやら議員になった人間です。どうしてこんな道になったのか、自分でも、さっぱりわかりません。まして、人様にお勧めできるコースではありません。 だから、なぜ議員になったのかという質問の答はたいへんです。政治や岡山について、理屈はいくらも語れるけれど、最後は、「神様に命じられて、幸い好きだから良かったです」としか言いようがないのです。 なりたくてもなれないし、なりたくなくてもなるし、なることが、幸運とも全く思わないし、時代に必要なければ落選するだろう、落選したら、また新聞配達をしよう。投げてるわけでもないですが、凝りもなければ、失うものもない、結婚しても、根幹は変わりません。 自分ではどうしようもない力が、働くのです。それは結婚でも感じました。 ともあれ、今は与えられたと感じる命を全うするだけです。自分がやりたいことをやるというより、自分がやらなくてはいけないと感じることをやらなくてはいけないと思う方が、強いです。でも、なぜ自分がやらなくてはいけないと感じてしまうのか、実はそれも分からないのです。 実は、大臣の「天命」観に似たようなところがあって、「人事を尽くして天命を待つ」のでなく、「天命を感じて人事を尽くす」なんだそうです。少しわかる気が、します。 そんなので、20年後の岡山はこうあってほしい、こうすべきだ、というのはあっても、自分自身がどうなっているかわかりません。ただ、「天命」に素直に耳を傾けるだけです。 私よりもっと議員にふさわしい人がいるなら、喜んでその人を応援します。もっとうまくやれるよ、と替わって下さる方がおられたら、どうぞ。そういう「天命」も、あるでしょう。 そよそよと風が吹いてくる、という感じが、またしてくることでしょう。あるいは、それが、万が一、政治を離れなさいという風だったとしても、「天命」だと受け入れる覚悟は、いつも持っていたいと思います。 大きな祝賀会場で、しみじみと考えていました。「天」のみぞ知る。 改めて、遅ればせながら、地元からの通産大臣の誕生を心からお祝い申し上げます。 | ||
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