2000年8月25日(金) 【はるか社民連に】

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 かように好き勝手を書いても、議員には議員の仁義が、あると思ってはいます。それぞれの方が、激戦を勝ち抜いて来たわけですし、大切な応援して下さる方が、います。ただ、個々には独立している議員も、党に属しているからには、自由な政治活動も、無茶をしても自ずと限界はあると思います。また、人間として最低限の礼儀もいると思っています。何より、最後は多数決ですから、組織、集団の力は、重要で、一期2年目の振る舞いの限界は、あります。

 個人的には、「超勝手しー」の、佐藤君にも、特に親しい議員や、かわいがって下さる先輩もおられます。しかし、一人として同じ条件、時代背景の議員はいないのですから、結局最後は、芸を盗んでいく、先輩を越えていくという、気概は必要です。生意気を書けば、「和して同ぜず」でしょうか。

 自民党は、2派閥、30人以上が、同じ議員控え室に入っている大所帯です。よほどのことがないと、私は奥の方には行きませんが、だんだんずうずうしく、2期の方に行こうかな、どうかな、という現在です。
 1期の席まで降りてきて下さるベテラン議員に、なついたりします。多分、先輩から、からかわれる要素を持つことは重要です。また、先輩は、声をかける勇気と努力が必要です。(ポイントは、トイレで並んだ時の先輩議員の対応で、「見て」ます。)なにしろ、我が岡山自民党県連は、30才から75才まで、45才の幅があります。

 いずれにせよ、将来1期の議員に、何を語れるかは、自分が1期で何をしたか、で決まると思います。自分の経験以上に、正味を人に伝えられません。確実に次があるのかどうかもわからずに、「そうだ、ああしてやろう、こうしてやろう」、と思っています。無手勝流ですが。
 当選回数・年功序列が、絶対的ルールであり、秩序であり、仁義です。
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 9月上旬には提出の一般質問の原稿の資料集めをしていて、大学の先輩である議員の議事録にあたる(H・Pが、非常に便利です)と、本気さ、熱い思いが伝わってきて涙が出そうになります。党派は、違いましたが、やはりどこか似ていると思います。雰囲気が、なんとも好きでした。
 同じ選挙区で戦う前に、先輩は、若くして自ら議員を引退されましたが、もしかしたら、一緒に活動できたかもしれないのに、もっともっとご指導を受けたかったのに、としみじみ思います。

 学生時代夏休みに帰省すると、岡山駅前に、街頭演説を聞きに行っていました。それが、私の政治の原体験です。入道雲の下には、今はどこにも形がない社民連が、ありました。幕末の志士のような輝きが、私には眩しかった。
 多分、心のどこかで、私は、青春時代の青空の下の、青い夢を語った、あの頃の社民連の、とても小さな、しかし確かな輝きを追っかけていることに、実は気づいています。あるいは、先輩もそうかもしれません。
 何が、胸を打ったのか、つらつら考えると、ジョン・F・ケネディのいう「政治的勇気」を感じたからかもしれません。

 この季節になると思い出します。
 はるかはるか大昔、社民連という夢がありました。・・・・・真夏の夢でした。

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