2000年8月21日(月) 【選挙と政治活動】

 議員は、確かに(地域)代表では、あると思うのですが(国会議員は全国民の代表です。)、一応政治学的には「半代表」と言われており、ある種の裁量というのは、あると思います。
 また、今後地方政治において、直接民主政治が、IT革命を経ても行われないとしたら、議員の調整能力や、現時点では圧倒的な多数決は得られずとも、将来を構想する力や信念を期待されてのことだと思います。

 ある面、自由な政治活動が担保されないと、議員をさせて頂く個人的な理由とか、夢とか、やりがいが、かなり小さくなるでしょう。そして、願わくば岡山県のために、無茶苦茶はしない、全力を尽くすこと、を信じて下さい!!としか、言いようがありません。(そのための、「こころ」の発信でもあります。)


 今日立ち話で、ある元議員の方が、過去に、「応援してくれんのなら、この地域の面倒は一切みんよ。と、言うたったんじゃ。」と、言われて、かなり引っかかっています。(じゃから、この人は・・・・・・。)
 また、昨今、某市長に対する巷の声として、「選挙を応援してくれた方の声ばかり、重用する」という意見をかなり頻繁に聞くようになりました。その方々達も応援されていたはずですが、かなり肩書きのある、発言力のある方に偏して市政が動いているとの批判です。
 最近の市政の動きを見て、全くそんな側面がない、とも言えないこともないこともないのかな、と思います。「声なき声」が、確かに生まれつつある気がします。(「やはり、若い」という声です。)
 また、市政相談、県政相談として、議員控え室に一日詰められる議員もおられます。特定の共通項を持たれる「支援者」の方が、相談に来られるのでしょう。彼らは、それで選挙は大丈夫なのです。ある面羨ましいです。
 また、特に小学校統廃合問題では、選挙云々を言っておられないほど、本当に愛しているこの地域をズタズタにされた当局のやり方に、憤りを感じています。(「大魔人怒る」の気分です。)

 選挙がなければ・・・。選挙があるから・・・・。
 議員や首長が、ことさら有権者の方々の中のどなたの声に、比重を置くかは、時として非常に厳しい選択を強いられることになります。理想と現実の相克と言っても良いかもしれません。


 「別に、あんたに票は入れてないけど」「今後もあんたには、入れられんけど」「だいたい選挙区じゃ、ないけれど」「自民党は、大嫌いだけど」「あんたを選挙で応援する気もないけれど」で、始まる話はたいがい私は、好きです。こっちも、腹が割れます。意見を言い合い、一番生産的な本音の話になります。
 私は、直接票には、ならないだろうという活動が、大好きです。実は、それが、議員として、人間としての幅に繋がるのだと思います。また、それが、心の拠り所にもなります。票が介在しないと人間関係が、成立しないわけではありません。議員である前に、私は人間です。
 政治とは一切関係なく、もうこれが大好きでやってます、と言いつつ、一流の方というのが、おられます。そんなところから、感銘を受けたりします。
 「自民党の中で、こんなこと聞いてくれるのは、佐藤さんだけと聞いて。応援はできないんですけども、相談に乗って下さい。」などと言われると、血が騒ぎます。
 思わぬヒントは、「欲」のない時に限って生まれてきます。それが、大きく還元されることもあるのです。
 票を入れて下さる方が、支援の全ての形でもなければ、逆もありえます。
 政治関係者と見れば、票を欲しがっている胡散臭い奴等だと、短絡的に思考する方もおられ、寂しい気分にもなります。


 最近、地域の盆踊りに出かけて、「まぁ、選挙があるけぇ、たいへんじゃなぁ」「しっかり顔を売っとかれーよ」と言われると、必ずしもうれしくないのです。おまけに、「先生」と言われると、もう最悪な気分になります。その瞬間に、私の個性が吹っ飛ぶ気がします。別の人間扱いされてしまう!!愛想笑いしなくては!もちろん、「ご挨拶」は、主たる目的なのですが、選挙活動だけでもないのです。
 そんな時、私は、お年寄りから説教を受けるのが好きです。「おめぇ、なんしょんなら。まぁ、ここへ座れ。おめぇの顔見たら、いっぺん言うちゃらにゃぁおえん、と思ようたんじゃ。でーてーのぉ(私は、だいたい話が、好きです。)・・・・まぁ、今日はちょっと言い過ぎたけどの、おめぇじゃけぇ言うんたんじゃ。悪気はねんど。気に障ったら、爺ぃが何よんならで、ええけぇの。奥さんによろしゅうの。」こんな会話の中に、思わぬヒントや課題が、幾つもあります。
 そこに、地元の婦人会の方が来られて、「ごめんよぉ、悪ぃ人じゃねんじゃけど、お酒が入っとるけんなぁ。」、他の方が、「あんな、爺ぃの言うことやこ、ほっとけ」「でーてー、あのおっつぁん、選挙の時、○○議員をしょうたんじゃ。」
 こういう会話が大好きです。腹を抱えて笑いたくなります。できれば、そういう爺ぃに、私がなろうと思います。

 いずれにせよ、票欲しさで動くと、それがビンビン相手の方に伝わるし、何より自分が悲しくなるのです。たとえ、他の議員を応援されようが、そこにはそこの正義があるのでしょうから、攻撃も妬みもしません。かといって、無視もしません。皆、何かを良くしようとやっていることですから。私より、その方や、その地域にとって良い議員もいるでしょう。それで、いいのです。(もちろん、さらさら仕事で負けたい気はありませんが。)
 なお、「政治には、全く関心がない」と言い切る方については、この人は、「私は何事にも責任を負いません」と言ってるんだな、と解釈しています。


 皆様からの税金を頂戴して活動しているのですから、選挙での応援の有無に関わらず、広くご意見をうけたまわり、岡山県政に反映させて頂きます、と言えばカッコイイのですが、偽悪家ぶるわけでもないんですが、もちろんそういう立派な側面もあるんですが・・・・・って言うか〜その方が、やってておもしれ―じゃん!というのが、本音です。いろいろあって楽しいです。
 すみません。このメールも、義務でなく、好きでやってます。

 大切なのは、常に広く聞く態勢にあることだと思います。残念ながら、36才の私には、まだ指し示せる力(知恵と経験)が、備わっていません。悲しいかな事実です。わからないことが、多すぎます。これからの人間でございます。

 選挙は、ある種の規程を作りますが、正しい政治活動がその規程を壊して広げていく好循環になるのが、あくまで理想です。選挙のための選挙の時代は、都市部では、いずれ終焉するでしょうし、させないといけません。

 常に自分の選挙を意識して行動しなさいと言われるのですが、もう少しの間、喜怒哀楽のある、癖のある人間でいさせて下さい。孫悟空のように、皆様の手の上で、暴れさせてやって下さい。

 本当は、最近、あまりに好き勝手じゃなかろうか、と自覚しています。

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