2000年4月26日 【後援会報について】 | ||
端的には、金銭的、時間的都合で、なかなか後援会報も作れません。お恥ずかしい話ですが、選挙の後、2年目に入るところで、やっと2号を作っています。今日打合わせして、GW明けにもできると思います。文化系人間、岡山一宮高校の初代新聞部部長の血が、うずくのです。
市議会議員の中には、いわゆる会派で、新聞の裏面を統一させ、費用分担して、年に何度も出せる方も多いのですが、私の場合、前回(昨年10月)郵送にして、後援会の皆様に送った手間や費用が、地獄のようだったため、尻込みしておりました。今回は手配りにさせて頂きます。 都市部の県議会議員は、選挙でもない年に、新聞を作ることは、少ないようですが、郡部では、なんとなく年に、2回ほど出して、後援会の方に手配りして頂くケースが、多いようです。また、編集委員がいて、議員は、自分の新聞を出来上がって初めて見る場合すらあるようです。 議員内では、新聞交換が行われ、私の創刊号の、議場の席次表とか、年齢順の表が、他の議員の新聞に流用されたりしています。(かなり斬新であったと自負しています。残部ありますので、ご入り用の方は、ご連絡下さい。)議員同士で、写真を撮ると、すぐ後援会報の載せよう!!と、いうことになります。(こんなことばっかり考えている。) いずれにしても、こういった新聞は、さっと見て、後で読んどくわ、と言われて、実はそのまま捨てられるもので、(ある議員は、挨拶に行ったら、その家では、大根を彼の後援会報で、包んでいたそうです。)読まれているようで、読まれておらず、私は、後援会報は、読むものでなく、見るものだ、という認識を持っています。悲しいかな内容がどうというより、元気で頑張っていることを伝える手段かもしれません。 ところが、中には隅から隅まで読んで下さっている方もおられ(もちろんそれが、望ましいのですが)、いいかげんにも作れません。新聞ぐれぇ出しとかにゃぁおえまぁがぁ、という気分では作りたくありません。伝えたいこともいくらもあるのですから。ただ、紙面の限界があります。 おそらく、このメールの方が、思いはお分かり頂けると思います。それでも、さしが、一番でしょうね。やっぱり会って伝えたい。むしろ、媒体を通すほどそう思います。良いことしか書けないですもの。 | ||
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