2000年4月24日 【応援演説とは】

 倉敷市長選は、県議当選後、初めて本格的に応援演説の機会を頂戴しています。なにしろ県議会最若手の一人ですから、普通は、上の方が、喋られたら私は、ご紹介を受けるだけです。その分、冷静に、ひとの話を聞かさせて頂くことも多く、○○先生は、さすがにうまいとか、○○議員は、こんな癖がある、とか批評する余裕もあるわけです。まさに、話芸のような方もいます。立て板に水よりも、なんとも言えない「間」がたまらんねぇ、と、お茶をすすりたくなるような、味わいのある演説をする方もいます。
 ところが、いざ自分の段になり、しかも応援演説となるとこれがなかなか難しいのです。しかし一方で、選挙区外になると、失敗してもいいかな、という無責任なところも全くないと言えば嘘になり、大変失礼ですが、いろいろ試してみることもあります。今年度から、とにかくゆっくり話すことを一大テーマとしており、時には身振りを入れたりして、ああこうして図太くなるんだなぁ、と実感しています。
 最近好きなのは、「そうじゃないですか!?みなさん!!」と言って、賛同の拍手を頂戴することです。ちょっと快感です。ただ、おらんだら、ええもんでもないし、あまり候補をべた賞めするのもうそ臭い。笑いがあり、ほろりとさせ、なるほどと思って頂き、最後には、頑張ったらにやぁ、という気持ちになって頂く、言葉が詰まることで伝わる気持ちもあります。もっとも、テクニックは、「本気」には勝てません。5分間黙ったままで、最後に「よろしくお願いします」と振り絞る方が、伝わることもあるでしょう。
 加えて、応援演説は、特に、候補者の真に伝えたいことや不足の部分を補ったり、選対をヒートアップさせる重要な役で、行けばいいというものではありません。
 また、司会者の一言で、全てが、ふっとんだり、逆に盛り返す場面をなんども見てきました。本当は恐ろしいのです。
 それにしても、他の選挙は、よくいろんなことが、見えます。スタッフ配置、進行の仕方、来客の方への配慮、・・・どうして人のことは、わかるのに・・特に個人演説会は、スタッフと観客が作る一種の総合芸術舞台、いわばライブです。持ち帰った「感動」をひとりでも多くに伝えて頂く、やはり「心」を動かすのが、選挙だとつくづく思います。もちろん、そのためには、候補者の強烈な「思い」が、絶対条件で、候補者は、死ぬ手前まで、行けば行くほど良いと思います。それが、応援して下さる方への誠意では、なかろうか。私はしみじみ反省しています。やっぱ、最後は、ド根性じゃが!!
 はっきり苦しい戦いです。少しでもお役に立てればと、今夜は母の故郷である児島方面の二会場へ向かいます。必勝!!早稲田魂!!

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